You are here
Home > 奈良 > 不退寺

不退寺

名称 不退寺
住所 630-8113 奈良県奈良市法蓮町517
拝観時間
拝観料金
URL

http://www3.pref.nara.jp/kankou/1123.htm

仁明天皇の勅願により近衛中将兼美濃権守加戯郡部朝臣の建立になる不退寺は大同4年(809)平城天皇御譲位の後、平城京の北東の地に萱葺きの御殿を造営、入御あらせられ「萱の御所」と呼称せられた。その後皇子阿保親王及びその第五子業平朝臣(825-880)相承してこゝに住した。
業平朝臣伊勢参宮のみぎり天照大神より御神鏡を賜り「我れつねになんじを護る。なんじ我が身を見んと欲せばこの神鏡を見るべし、御が身すなわち神鏡なり。」との御神勅を得て霊宝となし、承和14年(847)詔を奉じて旧居を精舎とし、自ら聖観音像を作り本尊として安置し、父親王の菩薩を弔うと共に、衆生済度の為に『法輪を転じて退かず』と発願し、不退転法輪寺と号して、仁明天皇の勅願所となった。
略して不退寺(業平寺)と呼び、南都十五大寺の一として、法燈盛んであった。その後時代の推移と共に衰頽したが慶長7年(1602)、寺領50石を得て、一時寺観を整え南都に特異な存在を示した。昭和5年(1930)4月久宮邦英殿下が御来山なされ、修理進捗の記念に、香炉1基を下賜されたことが、寺史に精彩を加えている。

◆南門(重要文化財)
切妻造本瓦葺の四脚門で、方柱には大きな面を取り左右身柱の上に豪壮な板蟇股を載せ、中央冠木の上には束を中心に、笈形風にいろいろと飾り立てているのが特異である。鎌倉末期の建築で、昭和九年の修理により墨書銘を発見確認されている。笈形を盛んに用いた室町・桃山の建築様式の先駆をなしたともいえる最古のものである。

◆本堂(重要文化財)
桁間五間、梁間四間、屋根単層、寄棟造本瓦葺、軒は二軒で二重繁?、斗拱は三斗の枠組、中備に間斗束を配している。軸部は円柱で正面の頭貫を虹梁の様態に扱っている。これが正面中央に虹梁を架けた最初のもので、この方法が鎌倉時代に入って一般となったもので注目すべき点である。内部の柱頭部に三斗を組み、木鼻をつけている特異な構造であって、中央に二条の大虹梁を架け、梁の上に太瓶束を立て・折上組入天井の廻縁を支えている。爾未、桃山・江戸・昭和と三回の修理を経て現在に至ったもので、その様式を完全に残している。

◆多宝塔(重要文化財)
柱は方柱大面取、方一二間で中央の間に板扉を開き、左右には青鎖窓をはめている。斗拱は三斗出組とし、斗拱間には鎌倉時代特有の美しい蟇股を配し、柱頭部には頭貫を通じ、貫端に天竺様の木鼻を附けている。内部は二重折上げの小組格天井をはめ、彩絵を以て装飾している。その一部は修理に際し復原されたものである。この塔には最初上層があって檜皮葺であったことが寛政年間刊行の大和名所図絵によって明らかで、高さは十三メートル六〇、明治以降下軸部のみとなったとはいえ、鎌倉中期の特徴を具え当代の多宝塔としては出色のもので、池を隔てゝ見る姿はまことに優雅である。

◆聖観世音菩薩立像(重要文化財)
1メートル90(平安初期)、本尊であって木彫一木造りで、全身胡粉地に極彩色の花文装飾を施した豊満端厳な像で、業平朝臣御自作の代表的な名作である。

◆五大明王像(重要文化財) 
木彫着彩、不動明王(中尊)降三世明王(四面八臂)1メートル50、軍茶利夜叉明王(一面八臂)1メートル58、金剛夜叉明王(三面六臂)1メートル46、大威徳明王(六面六臂牛騎)1メートル45の五躯であるが、五大明王がかく完備したのは珍らしいもので金剛夜叉明王は特に傑出している。藤原時代中期の作風をもつ貴重な遺作である。

◆阿保親王坐像(県指定文化財)
1メートル、木彫、鎌倉時代のもので、肖像彫刻中の佳作で業平朝臣の父である。

◆地蔵菩薩立像
70センチ、木彫一木造りで、弘仁時代の作で多宝塔に安置された千体地蔵の本尊とも言うべきものであろうと言われている。千体地蔵は現在数体残しており、墨書銘によると(御仏千躰地蔵菩薩安浪御作也…)安浪作の千体地蔵が安置されてあったことが判った安阿彌のかへ字で、名工快慶をいうのであろう。

◆石棺(5世紀)
庫裡の庭にあって石材は春日砥(砂岩の一種)で、心ない草刈の人たちがこれで鎌を研いだと思われる痕が沢山残っている。附近には古墳が沢山あって、おそらくそこから運ばれたものであろうと言われている。

奈良県奈良市法蓮町517

Similar Posts