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厭離庵

名称 厭離庵
住所 616-8427 京都府京都市右京区嵯峨二尊院門前善光寺山町2
拝観時間 9:00~16:00

11月1日~12月7日のみ公開
上記以外は要予約
拝観料金 志納(500円位)
URL

臨済宗天龍寺派の寺院。藤原定家の小倉山荘跡で、定家が百人一首を撰したところという。
のち荒廃し、江戸中期に令泉家が修復。霊元法皇から厭離庵の号を賜わる。
その後再び衰え、明治に入り復興。
書院のほか、茶席時雨亭、定家塚などがある。
(非公開)明治四十三年白木屋社長大村彦太郎氏が佛堂と庫裡を建立され山岡鉄舟氏の娘素心尼が住職され以後尼寺となる。

■定家卿
見渡せは

    花も紅葉もなかりけり

浦のとまやの

    秋のタ暮

駒とめて

    袖うち払ふかげもなし

佐野のわたりの

    雪の夕暮

鎌倉時代の歌聖、定家卿は応保二年(1162年)に生れ、仁治二年(1241年)八十歳にて歿す。父は俊成卿、兄は寂蓮法師、子は為家卿といづれも優れた歌人一族である。「新古今集」の撰者の一人として、また「小倉百人一首新勅撰和歌集」の撰者として、歌集「拾遺愚草三巻」に自撰の歌3652首が収められている。

定家は京極家、為家は冷泉家、孫の為氏は二条家、そして「十六夜日記」を誌した阿仏尼は為家卿の後妻にあたり、その子為相のために鎌倉へ直訴の道中誌を残している。

■時雨亭
小倉山しくれの頃の

    朝な朝な

昨日はうすき

    四方の紅葉葉

六世常覚尼が茶道を志し、定家卿の御歌に因んで、定家卿の山荘「時雨亭」再興の意をふまえて、大正十二年茶席「時雨亭」は四帖向切、床は枡床、塗りがまち、書院窓に文机あり、桂離宮より模す。天井はよしの化粧天井で、広縁は苔寺の湘南亭を模し、屋根裏は傘を想わせ、情趣ゆたかである。

■本堂
本尊上宮太子御作の如意輪観音、そして開山霊源禅師、西行法師、家隆卿、貫之卿の木像と定家卿、為家卿、為相卿の位牌を安置す。

ジェーン台風で倒壊した本堂は、「時雨亭」に於て茶会を催し、その浄財にて昭和28年に、これも岡田永斉の手によって再建される。

天井に描かれた”飛天”は東京芸術大学名誉教授西村公朝先生の筆。当時裏千家出入の数寄屋大工岡田永斉によって建てられる。

■庭園
今は一般公開を断りて苔むす庭となり、七百余年、”柳の井”は今も清く湧き出ている。園内に映える楓樹は新緑、紅葉各々の季節を彩りて、京の名庭に数えられる。定家卿を偲ぶ五輸の塔、”定家塚”は静寂さをたたえている、その他楠の化石の橋や織部灯籠などが点在し、歌づくりの風情を漂よわせている。

藤原定家  小倉百人一首・編さんの庵

皇都西嵯峨、小倉山の麓なる厭離庵は京極黄門定家卿(藤原定家)が住みし山荘の旧跡で、小倉百人一首を編さんした処である。

その后、久しく荒廃せしを冷泉家が修復し、霊元法皇より、「厭離庵」の寺号を賜り、安永(1772年)より、臨済宗天龍寺派となり、開山は白隠禅師の高弟霊源禅師なり、男僧四代続いたが明治維新后、再び荒れ、明治43年、貴族院議員白木屋社長大村彦太郎が仏堂と庫裡を建立、山岡鉄舟の娘素心尼が住職に就き、それ以后尼寺となる。

平成18年9月、男僧、玄果入山。

京都府京都市右京区嵯峨二尊院門前善光寺山町2

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