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平城宮跡

名称 平城宮跡
住所 630-8003 奈良県奈良市佐紀町
拝観時間
拝観料金
URL

http://heijo-kyo.com/

和銅3年(710)、飛鳥に近い藤原京(奈良県橿原市)から奈良盆地の北端に新しく作られた平城京に都が移される。
唐の長安をモデルにして設計され、南北約5km、東西約6km、都の中央北端には政治の中心となる「平城京」が造られました。
平城京は約1km四方の広さで、大極殿や朝堂院などの宮殿のほか、天皇の住まいである内裏があり、周囲には国の役所が立ち並んでいました。
平城京に都が移された710年から長岡京に都が移る784年までの75年間を奈良時代という。
聖武天皇が740年から745年まで恭仁京や難波京などに都を移しますが、その前後で平城京の宮殿や役所は大きく作り替えられた。
復元された大極殿は奈良時代前半のもの。奈良時代後半には大極殿は東のほうにある内裏の南に作りなおされた。これを第二次大極殿と呼ぶ。
内裏やほかの多くの役所でも、奈良時代の間になんども造りかえが行われた。

◆朱雀門
平城京の入り口には「羅城門」があり、75m幅のメインストリートの朱雀大路を北へ3.7km歩くと突き当りに平城京の正門の「朱雀門」がある。平城京の周囲は大きな築地塀で囲まれ、合計12の門が存在した。朱雀門は平成10年(1998)復原された。
朱雀門の規模は間口25m、奥行10m、高さ22m、二重の屋根で他の門より立派に造られていた。
門の南にある広場は朱雀大路の一部を復原したもので、門のすぐ前を幅37mの二条大路が東西に横切っている。

◆第一次大極殿
「大極殿」は宮殿の中でも最も重要な建物で、即位の儀式や元旦の朝賀には天皇の玉座である「高御座」が置かれた。間口44m、奥行20m、屋根の高さ27mで平城京の中でも最大の建物。復原に際しては発掘調査のデータや現在残っている奈良時代の建物など参考に多くの専門家が研究し、平成13年(2001)から9年の歳月をかけ平城京遷都1300年にあたる平成22年(2010)に完成した。

◆第二次大極殿と内裏
天平17年(745)、聖武天皇は紫香楽宮から平城京に戻って新たに大極殿を造った。これを第二次大極殿という。
この大極殿や南の朝堂の土壇が残っていて、明治時代の終わりに建築史家の関野貞が平城京跡を発見するきっかけとなった。また明治時代から大正時代にかけて、地元の棚田嘉十郎達が保全運動に取り組み、今日の礎を築いた。
第二次大極殿の北側の植え込みがある一帯は天皇の住まいである「内裏」跡である。内裏の東に復原されている檜皮葺の建物は宮内庁と推定されている。

◆東院庭園
平城宮の東に張出した部分は「続日本書紀」にみえる「東院」にあたる。昭和42年(1967)、その南東隅に大きな庭園の遺跡が発見され、平成7年(1995)から10年(1998)にかけて復原された。
東西80m、南北100mの敷地の中央に複雑な曲線の池があった。称徳天皇はこの近くに「東院玉殿」を建て、宴会や儀式を催した。前期は大陸風庭園で、後期に日本風庭園につくりかえたことが分かった。

奈良県奈良市佐紀町

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