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永観堂(禅林寺)

名称 永観堂(禅林寺)
住所 606-8445 京都府京都市左京区永観堂町48
拝観時間 9:00~17:00
拝観料金        一般 団体割引
一般     600円 500円
小・中・高校生400円 350円
寺宝展開催中
一般    1,000円 900円
小・中・高校生400円 なし
夜間拝観 600円 
URL

http://www.eikando.or.jp/

聖衆来迎山禅林寺と号する浄土宗西山(せいざん)派の総本山で、通称永観堂と呼ばれている。
斉衡2年(855)空海の弟子真紹(しんしょう)が藤原関雄(せきお)の山荘を寺院としたのが起こりで、貞観5年(863)には天皇から定額(じょうがく)を得た。
その後一時衰えたが、平安時代の末、承暦年間(1077~1081)に永観(ようかん)が住持となり、念仏道場を開き寺を中興した。
永観はこれにより中興開山と呼ばれ、寺名も永観堂の通称で呼ばれるようになった。
以後当寺は浄土教を広め、鎌倉時代中期には浄土宗西山派開祖證空(しょうくう)の弟子浄音(じょうおん)が住持となり、浄土宗一派の本山の基礎を固めた。
その後応仁の乱により堂舎が焼失したものの明応6年(1497)後土御門天皇の命により再興し、以後逐次諸堂が再建され現在の伽藍が整えられた。
寺宝として山越阿弥陀(やまごしあみだ)図(国宝)をはじめ鎌倉時代以来の仏画多数を蔵し、特に本尊の阿弥陀如来立像は首を左に向けた我が国唯一の逸品で「みかえりの弥陀」と呼ばれて親しまれている。


◆由緒
永観律師をさかのぼること、200年余り。禅林寺は真言密教の寺として始まりました。863年、弘法大師の高弟、真紹僧都が、清和天皇から寺院建立の許可をもらい、禅林寺という名をたまわったのです。
  禅林寺が大きく発展したのは、永観律師の時代です。律師は、境内に施療院を建てるなど、恵まれない人々のために奔走。永観律師を慕う人々によって、禅林寺はいつしか、永観堂と呼ばれるようになりました。
  鎌倉時代に住職となった静遍僧都は、高名な真言宗の僧侶でした。お念仏をとなえるだけで救われるという教えに反発をおぼえ、自分の方が正しいと証明しようと、法然上人の著書を開きました。ところが、いくら読んでも「間違っているのは自分では」と思わせられることばかりでした。ついに、静遍はお念仏の教えに深く帰依します。そして法然上人のまな弟子、証空上人を次の住職として招きました。
 証空上人は、すべてを阿弥陀仏にまかせきってとなえるお念仏の大切さを説き、「白木の念仏」と名づけて、人々に勧めました。それは、阿弥陀さまが私たちのような者でも一人残らず救ってくださることへの悦びの念仏といっていいでしょう。のちに、禅林寺は、法然上人を宗祖に、証空上人を派祖にいただく、浄土宗西山禅林寺派の総本山となりました。

◆みかえり阿弥陀と永観律師
永保2年(1082)2月15日早朝。阿弥陀堂に人影がうごく。夜を徹して念佛行に励んでいる僧侶がいるらしい。
東の空がしらじらとし始めた。ふっと緊張が解けた一瞬、僧は息をのんだ。自分の前に誰かがいる。それが誰か気が付いて、足が止まった。
「永観、遅し」
ふりむきざま、その方は、まっすぐ永観の眼を見つめられた。
永観堂禅林寺のご本尊は、首を左にかしげ、ふりむいておられます。ほんの少し開かれたお口。お顔全体にただよう穏やかな微笑み。それは遠い昔、永観律師を励まされた時のまま。
阿弥陀さまの慈悲のかたちがこれほど具体的にあらわされている佛さまは例がなく、「みかえり阿弥陀」と呼ばれ、広く知られています。

◆見どころ
1.東山を背景に、阿弥陀堂をはじめとする古建築が、緑と水に恵まれた庭に調和しています。古来、都会びとに愛された優美な景観の中で静かなひとときを過ごしていただけます。
2.「もみじの永観堂」は、全国にその名を知られています。境内を染め上げる紅葉はもちろん、お堂や回廊のすぐ目の前にせまってくる鮮やかな岩垣紅葉はここでしか見られないものです。
3.みかえり阿弥陀のほか、びんずる尊者像など、功徳ある佛さまを拝むことができます。
4.斬新なデザインと彩色で知られる長谷川等伯とその一門による「竹虎図」「楓雉子図」など、桃山時代の金碧障壁画の傑作が観られます。また、国宝「山越阿弥陀図」や重要文化財「当麻曼荼羅図」など、多くの宝物を所蔵しています。
5.「火除けの阿弥陀」や「三鈷の松」「悲田梅」など、永観堂七不思議が楽しめます。

京都府京都市左京区永観堂町48

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