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法界寺(日野薬師)

名称 法界寺
住所 601-1417 京都府京都市伏見区日野西大道町19
拝観時間 9:00~17:00
拝観料金     一般 団体割引
大人  500円 450円 
大学生 500円 450円  
高校生 500円 400円  
中学生 200円 200円  
小人  200円 200円
30人以上団体割引
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東光山と号し、日野薬師ともいう。永承6年(1051)日野資業(ひのすけなり)の本願によって創建された。
もと天台宗であったが、いまは真言宗醍醐派に属する。
代々日野家の一族門葉が資材をなげうって堂塔を整えたので荘厳美麗をきわめていたが、応仁の兵火にかかって焼失し、いまに残るものは本堂(重要文化財)と阿弥陀堂(国宝)の二宇である。
本堂は康正2年(1455)の古建築で、重要文化財指定の本尊薬師如来像(伝・伝教大師作)と脇士日光月光十二神将(伝・運慶作)を安置する。この本尊に祈願すると、授乳の霊験があらたかであるという。
阿弥陀堂は永承年間(1046~1053)に建造され、国宝で定朝式の阿弥陀如来座像を安置している。
これらの仏像は我国美術史上稀世の作として有名である。

◆由緒
この寺は、藤原氏の北家にあたる日野家の菩提寺で、弘仁十三年(822)、藤原家宗が慈覚大師円仁より贈られた、伝教大師最澄自刻の薬師如来の小像をお祀りし、その後永承六年(1051)、日野資業が薬師如来像を造って、その小像を胎内に収め、薬師堂を建立して寺とした。
 当時は観音堂、五大堂等多くの堂塔が立ち並んでいたが、今では本堂と阿弥陀堂を残すのみとなった。一般には日野薬師、乳薬師として知られている。

◆阿弥陀堂(国宝)
藤原時代に起こった浄土教の流行や、末法思想等の影響で、極楽浄土の具象化として各地に建てられた典型的な阿弥陀堂建築の一つで、平等院鳳凰堂と相前後して建立された。
五間五面の檜皮葺、宝形造で、周囲一間の廂を付し、一見方七間の重曹建築の感がある。屋根には宝珠露盤を置き、屋根の勾配もゆるやかで、外観は、軽妙温雅である。
内部の天井は内陣が折上組入格天井、外陣は化粧屋根裏天井で垂木が感覚的で美しい。須弥壇の昇勾欄、組勾欄の反り具合、擬宝珠の穏やかな線など当時の特徴をよく遺している。

◆阿弥陀如来坐像(国宝)
平等院鳳凰堂の本尊に最も近い定朝様式の典型的なすぐれた仏像で、寄木造り、漆箔、八角九重の蓮華座の上に飛天光背を背にして坐る。
丈六、上品上生印(弥陀定印)の像で、穏やかな慈容に流れるような衣文をたたんで薄い衣をまとい、弘仁、貞観期の神秘的な表情とは異なった円満豊麗な藤原時代阿弥陀仏を代表するものである。
光背は透彫の飛天光、天蓋も簡素ながら当初のものと思われる。

◆壁画(重文)
内陣には、阿弥陀如来を取り巻く長押の上の漆喰の壁間に天井壁画が描かれ、法隆寺金堂壁画焼失後、完全なものとしては最古のものとなり、日本絵画史上貴重な存在となった。やさしい眼差し、さわやかな表情の飛天が空中より散華して本尊に供養する姿が軽快なタッチで自由奔放に描かれている。外壁には弥陀の坐像、四天柱には金剛界曼荼羅の諸尊六十四像と宝相華唐草が交互に彩色され、支輪、格天井にも宝相華が描かれている。

◆薬師堂(重文)
法界寺の本堂で、当初のものは早く消失し、現在のものは、明治三十七年奈良県竜田の伝燈寺本堂を移築したもので、棟木に康正二年(1456)の銘がある。五間四面、単層、屋根は寄棟造、本瓦葺。内部は格子によって内外陣に区切られ、密教道場にふさわしい重厚な建物である。

◆薬師如来(重文・秘文)
内陣厨子の中に安置されている高さ約80センチ、白木の檀像で、衣文に素晴らしい截金模様(きりがねもよう)がある。西国薬師第38番霊場の本尊で、胎内に伝教大師作と伝えられる胎内仏が蔵さめられている。胎児を宿す婦人の姿として、安産、授乳のご利益があり、特に若い女性の厚い信仰を集め、賓者が絶えない。

◆十二神将像(重文・非公開)
堂内両脇の厨子に祀られ、小像ながら刀法はきびきびとして見るからに勇壮な姿態を表した鎌倉彫刻の傑作の一つである。

◆親鸞聖人と日野家
浄土真宗の開祖見真大師親鸞聖人は、この法界寺を創った日野資業から四代後に、今を去る八百余年の昔、承安三年四月一日(陽暦五月二十一日)、皇太后宮大進正五位日野有範を父とし、吉光女を母としてここ法界寺でご誕生になりました。ご両親と早くお別れになりました聖人は、九歳の時に伯父範綱につれられて粟田青蓮院において慈円僧正を戒師としてご得度になりますが、得度された九歳までこの日野でお過ごしになり、ご幼少の頃お父君に手をひかれお母上に抱かれ、初めてみ仏さまのご縁を結ばれたのが、この法界寺の阿弥陀如来です。小さい両手を合わせて日夜合掌礼拝される聖人のお姿が今も堂内に浮かんでくる思いがいたします。比叡山でのご修学、さらに北陸、関東でのご巡化など、ひたすら念仏弘通のため、九十年のご一生をご苦労された親鸞聖人の全生涯は、この日野の里からはじまったわけであり、当時の姿をそのまま今に遺す阿弥陀堂ならびに阿弥陀如来のご尊像こそは、聖人と最も因縁の深い有り難いお堂と言わねばなりません。
また、日本史を彩った女達の一人、室町幕府八代将軍足利義政の正室日野富子も日野家の一族であります。

◆日野家墓所
日野家一族のご廟所で、玉垣の奥深く苔むした大きい五輪塔姿が聖人の父有範の墓、その他母吉光女、伯父範綱、覚信尼等の廟所となっている。

◆法界寺裸踊り(京都市登録民俗無形文化財)
元旦より十四日間本堂薬師堂において、五穀豊穣、万民快楽、諸願成就を祈る修正会法会が厳修され、結願日にあたる一月十四日の夜、精進潔斎した少年、青壮年の信徒が二組に分かれ、褌一つの裸形となり、水垢離をとったのち、阿弥陀堂広縁で、裸体をもみ合い、すり合い、両手を頭上高く拍ち合わせ「頂礼(ちょうらい)頂礼」と連呼し、寒夜の空もとどけとばかりに踊りつつ祈願をこめる荘重な祭典が繰り広げられる。
踊りに用いられた下帯の晒を、妊婦の腹帯として使用すると安産するというご利益があり、厚い信仰を集めている。

京都府京都市伏見区日野西大道町19

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