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清水寺

名称 清水寺
住所 605-0862 京都府京都市東山区清水1丁目294
拝観時間 6:00~18:00
拝観料金 一部施設(本堂・舞台)
大人   400円
大学生  400円
高校生  400円
中学生  200円
小学生  200円
団体割引なし。障害者予約無料
URL

http://www.kiyomizudera.or.jp/

北法相宗の本山。西国観音霊場三十三カ所第16番札所。
778年(宝亀9)延鎮上人が開山、798年(延暦17)坂上田村麻呂の創建と伝える。
音羽山中腹に30近い堂塔伽藍が並ぶ。
現在の主な堂塔は、1633年(寛永10)徳川家光の再建。‘清水の舞台’で知られる本堂(国宝)は寄せ棟造り、檜皮葺、寝殿造り風の優美な建築で、十一面千手観音立像を安置。舞台の下方に音羽の滝、谷を隔てて安産祈願の子安の塔(重文)がある。
ほかに仁王門、馬駐(うまとどめ)、鐘楼、西門(さいもん)、三重塔、経堂、田村堂、轟門、朝倉堂、釈迦堂、阿弥陀堂、奥の院など重文指定の建造物がいらかを連ねる。
1994年(平成6)12月「古都京都の文化財」として「世界遺産条約」に基づく世界文化遺産に登録された。

◆本堂舞台(国宝 江戸初期)
「清水の舞台」といわれ、本堂(国宝)の付属建築物で、平安時代の昔から構架されてきた。

現在の舞台組みは寛永十年(1633)徳川三代将軍家光の寄進による再建のままで、欄干親柱の金銅製宝珠に「寛永拾歳」と銘刻されている。

本堂外陣(げじん)(礼堂(らいどう))の廊下から南の谷へ間口約18メートル、奥行約10メートル、に長さ5.5メートル、幅30~60センチ、厚さ10センチ、の檜(ひのき)板を敷きつめ檜舞台として張り出し(舞台板は20~30年毎に張替る)、床下は巨大な欅(けやき)の柱に貫(ぬき)を縦横に通し楔(くさび)でとめて頑強に支え、いわゆる〝舞台造り〟になっている。建築学的には〝懸(かけ)造り〟といい、礼堂の下から長短の欅柱で構築されており、観音様の居所とされる南インドの嶮峻な補陀洛(ふだらく)(ポトラガ)山中の宝殿に実に似あわしい。最南端は錦雲渓の急崖に12メートル強の高さで建ち、「清水の舞台から飛び下りるつもりで…」の諺(ことわざ)を生んできた。

本来は本堂に奉祀する御本尊千手観音様に向って舞楽を奉納する、名実共に「舞台」で 現に重要な法要には舞楽、芸能などを奉納している。東、西両側の翼廊は、その楽人たちの詰める楽舎である。

この舞台からの、錦雲渓をへだてた向山の子安の塔と阿弥陀ヶ峰の眺めや京都市街西山の遠望は、まことに見事である。

左下方には「清水寺」の寺名を由来する音羽の滝がこんこんと三筋の清水を流し、その上手には同じく舞台造りで奥の院(重要文化財)が建つ。

◆清水寺本堂(国宝 江戸初期)
寛永十年(1633)徳川三代将軍家光の寄進再建。東・北・西に裳階をつけた正面十一間36m強。奥行九間30m強。棟高18mの高大な観音菩薩を祀る聖堂である。

創建は平安建都と同期(八世紀末)坂之上田村麻呂将軍夫妻の寄進による。

起り檜皮葺、寄棟造りの屋根や、軒廻りの蔀戸吊りに優美な平安王朝の宮殿と貴族の寝殿造り邸宅の面影を伝承している。

正堂最奥の内々陣の大須弥壇の上に「清水型観音」といわれる清水寺独特の姿をする本尊十一面先手観音と脇侍の地蔵菩薩・毘沙門天(三尊とも秘仏で、それぞれ国宝の厨子内に安置され、33年毎に開扉される)および千手観音を守護する二十八部衆、風神・雷神を全体揃えて奉祀する。

外陣は礼堂で、普段一般の参拝は此所で礼拝する。ために内側正面の欄間に本尊・脇侍の御正体を大きな円鏡形に彫刻して奉懸する。

また他の各欄間には江戸時代の大絵馬が20面近く奉納されており、中央の間の金箔の太丸柱や折上小組天井・三尊の梵字を彫刻する彩色蟇股などに江戸初期桃山建築様式の華麗さを見る。

なお礼堂の東西両端に翼廊(楽舎)を突出し、廊下の南側へ”舞台”を張り出している 

西翼廊(車寄せ)の鉄製の大錫杖(重さ90Kg・長さ2m62cm)・小錫杖(14Kg)と高下駄(一足12Kg)は、明治初年、修行者たちが本堂下の音羽の滝から百段の石段万度上り下の満願成就を感謝して奉納したもの。弁慶の持物にふさわしいが、各所に奉納者の刻銘が残っている。すぐ前には出世大黒天が笑坐し。左手の廂間内には塩断ち阿弥陀が鎮座する。その窓下長押の深い痕筋は堂廻りの数取り串の歴史的な擦り傷の跡である。 

東出口の西側欄間には臨済宗の中興の祖と称えられる白隠禅師(1689~1766)揮毫の観音経偈句「慈眼視衆生・福聚海無量」の竪額が揚がる

◆三重塔(重要文化財)
この塔は、当山ご本尊観世音菩薩の御霊験によって嵯峨天皇の皇子ご生誕あり 承和十四年(847)葛井(かどい)親王が勅命を奉じて創建されたと伝える。

現在の塔は寛永九年(1632)の再建で、日本最大級の規模をもち、三間四方、高さ二九・七メートルに達す。昭和六十二年(1987)文化庁の助成をえ、京都府教育委員会に委託して、解体修理、彩色復元の落慶をみた。

一重内陣の中央に大日如来坐像を安置し、四面の壁に真言八祖像、四天丸柱に密教的な仏画を描き、柱は雲天竜、天井その他は飛天・華型幾何文様が極彩色で全面荘厳されている。

なお今回の修理で全重を総丹塗りに戻し、他塔にその類例を見ない、各重の丸桁(がんぎょう)・台輪(だいわ)・長押(なげし)などの各種極彩色文様をすべて寛永の昔に復元した。

一重で見ると、軒下の丸桁の両端は「摩竭魚(まかつぎょ)」中央は「金剛盤に宝珠(ほうじゅ)」中段の台輪の両端は「出八双卍崩(ではつそうまんじくずし)円竜」中帯は「向い蝶」下方の長押の両端は「入(いり)八双若芽唐草(わかめからくさ)」中帯は「四弁花羯磨繋(かつまつなぎ)」の文様になっている。

京都府京都市東山区清水1丁目294

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