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薬師寺

名称 薬師寺
住所 630-8042 奈良県奈良市西ノ京町457
拝観時間
拝観料金
URL

http://www3.pref.nara.jp/kankou/1094.htm

薬師寺は天武天皇により発願(680),持統天皇によって本尊開眼(697)、更に文武天皇の御代に至り、飛鳥の地において堂宇が完成しました。その後、平城遷都(710)に伴い、現在地に移されました。
薬師寺は南都七大寺の一つとして、その大伽藍はわが国随一の壮美を誇りました。すなわち金堂を中心に東西両塔、講堂、回廊が立ち並び、なかでも裳階を施した金堂や塔のたたずまいの美しさは「龍宮造り」と呼ばれて、人々の目を奪いました。
地雷1300年を経て、この間、幾多の災害を受け、特に享禄元年(1528)の兵火では、東塔(白鳳時代 国宝)を除く諸堂が灰燼に帰しました。
昭和42年、高田好胤管主により薬師寺白鳳伽藍の復興が発願されました。失われた堂塔の復興を薬師寺の大悲願とし、お写経勧進によって、金堂、西塔、中門、回廊、更には平成15年3月に大講堂が復興され、白鳳伽藍の輪奐美として蘇りました。

◆金堂
金堂は薬師寺縁起によると二重二閣、五間四面、瓦葺の建物で各層に喪階をつけた美しい堂で、龍宮造りと呼ばれています。薬師寺白鳳伽藍は、金堂を初めとして東塔の意匠で総て統一されています。また、「堂内の荘厳は美をつくし、燈火がなくても金色に光り輝いた」と伝えられています。

◆薬師三尊像(国宝 白鳳時代)
薬師如来を中央に、向かって右が日光菩薩、左が月光菩薩、あわせて薬師三尊と申します。薬師如来は、当方浄瑠璃浄土の教主で、またの名を医王如来とも言い、私たちの身と心の病気を救ってくださる仏さまです。脇侍の日光・月光両菩薩は、動きのある美しい姿で、理想的な写実美を完成した仏さまといわれています。
あたかも今造られたかのような美しいお姿は、世界でも最高の仏像と仰がれています。

◆東塔(国宝 白鳳時代)
各層に喪階をつけているため六重に見えますが、三重の塔です。この得意な形が、全体として律動的な美しさを保ち、”凍れる音楽”という愛称で親しまれています。相輪の頂上に取り付けられた水煙は四枚は四枚からなり、その中には24体の飛天が透かし彫りされています。

◆西塔
西塔は享禄元年に兵火で焼失し、昭和56年4月に453年ぶりに創建当所の白鳳様式を持って復興されました。華麗な西塔が長年の風雪に耐えた東塔と並び立つさまは、大変印象的な光景といえましょう。

◆大講堂
大講堂は、正面41m、奥行20m、高さ17mあり、伽藍最大の建造物です。
講堂が金堂より大きいのは古代伽藍の通則で、これは南都仏教が教学を重んじ講堂に大勢の学僧が参集して経典を講讃したためです。
大講堂の本尊には弥勒三尊像(重要文化財・白鳳時代)、後堂には仏足石・仏足跡歌碑(国宝・天平時代)が安置されております。仏足石の両脇に釈迦十大弟子(中村晋也作)も祀られております。

◆東院堂(国宝 鎌倉時代)
東院堂は、養老年間(717~724)に吉備内親王が元明天皇の冥福を祈り、発願建立されたものです。奈良時代の位置は東側(現在の観音池)にあり、南を向いて建てられていましたが、天禄4年(973)の火災で焼失、弘安8年(1285)現在の地にたてかえられた、国宝の建物です。奈良時代は土間が通常ですが、板床を敷き東院禅堂と呼ばれたことを考えると、鎌倉時代には禅の影響があったと思われます。

◆聖観世音菩薩像(国宝 白鳳時代)
この像の若さの中に漂う気品と端麗さは、文字通り「祈りが昇華してゆく崇高なお姿」といえましょう。肩のあたりまで幾筋かにわかれて下がる垂髪、二重の首飾り、透き通るような衣服、花びらのような繊細で美しい指の動き、そして直立不動の直線的な姿勢。これらは、初唐時代に中国を通って流れてきたインドのグプタ王朝の影響を強く受けています。

◆玄奘三蔵院伽藍・大唐西域壁画殿
玄奘三蔵院伽藍中央の玄奘塔は、法相宗の始祖・玄奘三蔵のご頂骨を真身舎利として奉安し、須弥壇には、玄奘三蔵訳経像をお祀りしています。また、大唐西域壁画殿は、平山郁夫画伯が30年の年月をかけ完成された玄奘三蔵求法の精神を描いた壁画を絵身舎利としてお祀りするものです。

奈良県奈良市西ノ京町457

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