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銀閣寺(慈照寺)

名称 慈照寺
住所 606-8402 京都府京都市左京区銀閣寺町2
拝観時間 8:30~17:00
夏期( 3月~11月)8:30~17:00
冬期(12月~ 2月)9:00~16:30
拝観料金     一般  障害者 志納金として
大学生 500円  100円
高校生 500円  100円
中学生 300円  100円
小学生 300円  100円
小学生以下無料
URL

http://www.shokoku-ji.jp/

東山(とうざん)と号する臨済宗相国寺派の寺で、足利将軍義政の隠居所東山殿を遺命によって寺としたものである。
東山殿は、文明14年(1482)から建設を進め、東山文化の粋をつくした数々の仏殿、住宅や庭園が造られた。
しかし、永禄元年(1558)の兵火により、銀閣、東求堂を残して建物が焼失し、元和元年(1615)に現在の寺観が整えられた。
銀閣(国宝)は、長享3年(1489)の建立、こけら葺き二層建てで、下層は心空殿と呼ばれる書院造りの住宅風、上層は潮音閣と呼ばれる禅宗仏殿風の室となっており、観音像を安置する。
実際には銀箔は貼られなかったが、北山鹿苑寺(ろくおんじ)の金閣に対し一般に銀閣と呼ばれる。
金閣に比べて枯淡幽雅な特色が見られ、東山文化を代表する名建築である。
東求堂(国宝)は、文明18年(1486)建立の東山殿の持仏堂で、日常生活用住宅建築の遺構としては最古のものといわれ、内部には仏間、同仁斎(どうじんさい)などがある。
同仁斎は茶室の元祖ともいわれるが、元来は書斎である。
庭園は、西芳寺(苔寺)の庭園を模して義政が作ったものといわれ、上段石組、下段池泉廻遊式の二段からなり、銀閣とよく調和した名園である。

◆由緒
銀閣寺は臨済宗相国寺派に属する禅寺で、建立は文明14年(1482)室町幕府八代将軍足利義政公による。義政公は、祖父にあたる三代将軍義満公の北山殿金閣(鹿苑寺)にならい、隠栖生活を過ごすため、山荘東山殿を造営。
この東山殿が銀閣寺の発祥である。銀閣寺の名は俗称であり、正しくは東山慈照寺。
義政公の法号慈照院にちなみ、後にこう命名された。

◆義政公の悲願
銀閣寺は、五山の送り火でしられる大文字山の西、月待山の麓に位置する。東山殿造営当時は、錦鏡池を中心に広がる池泉回遊式庭園の周囲に、大小十二棟の建造物が点在した。その壮麗な景観は、禅の思想と浄土信仰が融合した、義政公の精神世界の投影である。
東山殿当時そのままの遺構が、観音殿(銀閣)と東求堂で、いずれも国宝である。
銀閣寺の象徴とされる観音殿は、一層を心空殿、二層を潮音閣と、それぞれ呼ぶ。

◆東山文化の伝統
政治の世界から逃れ、ここ東山殿に隠栖した義政公は、芸術三昧の晩年を過ごした。
諸芸道の達人をここに集め、いわゆる東山文化のサロンを形成した。茶道、華道、香道、能などの日本を代表する伝統文化は、この東山文化のなかから生み出された。
その舞台となったのが、東求堂内の同仁斎であり、現存する最古の書院造り、また四畳半の間取りの原型として知られる。
平成5年(1993)に造営された書院には、世界的に評価の高い明治期の画家、富岡鉄斎の襖絵が収められ、東山文化の系譜を今に伝えている。

◆観音殿(銀閣)(国宝)
鹿苑寺の舎利殿(金閣)、西芳寺の瑠璃殿を踏襲し、本来、観音殿とよばれた。二層からなり、一層の心空殿は、書院風。二層の潮音閣は、板壁に花頭窓をしつらえて、桟唐戸を設けた唐様仏殿の様式。閣上にある金銅の鳳凰は東面し、観音菩薩を祀る銀閣を絶えず守り続けている。

◆東求堂(国宝)
義政公の持仏堂。一層の入母屋造り、檜皮葺きの現存する最古の書院造り。南面に拭板敷、方二間の仏間が設けられ、北面には六畳と四畳半の二室がある。北面東側の四畳半は、同仁斎とよばれ東山文化を生み出す舞台となり、また草庵茶室の源流、四畳半の間取りの始まりといわれている。

京都府京都市左京区銀閣寺町2

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