You are here
Home > 京都 > 高桐院

高桐院

名称 高桐院
住所 603-8231 京都府京都市北区紫野大徳寺町73
拝観時間 9:00~16:30
拝観料金     一般 団体割引
大人  400円 360円
大学生 400円 360円
高校生 400円 360円
中学生 300円
小人  200円
URL

大徳寺塔頭。1601年(慶長6)利休七哲の一人細川忠興(三斎)の創建。
利休邸移築の書院につづく茶室松向軒は秀吉の北野大茶会に用いられたものを移したと伝える。
江戸初期につくられた庭に三斎とガラシャ夫人の墓がある。
寺宝の李唐筆「絹本墨画山水図」2幅は南宋初期山水画の名作で国宝。

◆由緒
高桐院は細川幽斎公の長子忠興三斎公により慶長6年(1601)に建立された大徳寺塔頭の一で、開祖玉甫紹踪和尚は幽斎公の弟であった。
細川三斎公は正保2年12月2日、83才の高齢で卒去、遺言によって遺骨は高桐院に埋葬された。法名の松向寺殿三斎宗立は茶席松向軒の名として接されている。
三斎公は織田・豊臣・徳川の三時代に、一貫した精神で身を処した戦国時代切っての智将であるが、公はまた利休七哲の一人として茶道との深いえにしによって有名である。
茶道の奥義を究め、歌道をたしなみ、文武両道に秀でた哲理の人であった。
正室細川ガラシャ夫人が織田の反逆者明智光秀の息女という不利の時代も光秀にくみしなかったのは、三斎公が武人として時代を超えた明晰な洞察を持っていたゆえである。

◆庭園
高桐院参道は表門から鍵の手に磨門を望む自体石の敷石道である。春夏の青葉・枕の紅葉を天蓋に頂く一直線の参道は幽玄の気に満ちている。客殴南庭は江戸時代初期の造園。
楓樹を主とした野趣に富む庭であるが、青葉の清列・紅葉の華麗・冬の静寂と四季折々、自然の風雅をたくまずに含めた横囲は見事というほかない。茶室鳳来の西部露路の降りつくばいには、朝鮮の王城の礎石をもちかえったという蒙壮な袈裟型の手水鉢が置かれている。
高桐院の庭園美は、四季共にさまざまな変化の美しさを特色として杖引く人の眼を歓ばせている。

◆建造物
高桐院の建造物には客殿・書院・庫裡などがある。書院は千利休居士の邸宅を移築したもので、この書院に続いて二帖台目の名茶席松向軒がある。松向軒は寛永5年(1628)三斎公の手で建立されたもの。
清巌和尚によるその由来には、常に松声を聞き且つ趙州無舌の茶味を嗜む因って松向と名づく云々とあって、茶室に珍しい黒壁は瞑想の場の感があって、簡素な中にも幽玄の雅味をたたえた名席である。
更に高桐院客殿西北部には、八帖円能斎好みの大らかで優美な茶室鳳来がある。洗練された豊かな風雅を感じるこの茶席もまた、高桐院の伝統の一面を伝えて爽やかである。

◆墓所
三斎公及びガラシャ夫人の墓石は、生前愛好した石灯篭をもってそれに当てた。細川家の墓所の中にこの鎌倉時代の美しい灯篭墓石は、苔を褥に静かに据わっている。
これはもと利休秘蔵の天下一の称ある灯篭であったが、豊太閤と三斎公の両雄から請われて、利休はわざと裏面三分の一を欠き、疵物と称して秀吉の請を退けた。のちに利休割腹の際、あらためて三斎公に遺贈したもので無双という銘を持ちまた別名を欠灯篭ともいう。
更に蕨手・灯口・横が欠けているのは、後日完全を忌む公自身が欠いた、という記録があり、三斎公の面影が偲ばれる逸話である。三斎公の墓石とともに当院には、清巌・大心両和尚などの墓がある。
清巌和尚は、大徳寺170世の名僧で、三斎公には少なからず影響を与えた人物である。
高桐院にはまた、歌舞伎の始祖として名高い出雲の阿国、共に名を残した名古屋山三郎や、また森鴎外の著作で有名な興津弥五右衝門などの墓もある。
静かに永眠する英雄豪傑才女の歴史をしのんで、墓所には香華の紫煙が流れている。

◆宝物
高桐院寺賓国宝李唐筆山水図双幅は、右幅に李唐画と署名のある唯一の傑作で楊柳観音図を添える。
また重文牡丹図は銭舜挙筆の名画でこの図は我が国に伝わる牡丹図中の王座を占める大作で豊公北野大茶会に使用されたものである。

◆高桐院開祖忌 6月8日(拝観中止)・宝物曝涼展 10月第2日曜日

京都府京都市北区紫野大徳寺町73

Similar Posts