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丹生川上神社中社

名称 丹生川上神社中社
住所 633-2431 奈良県吉野郡東吉野村小968
拝観時間
拝観料金
URL http://www3.pref.nara.jp/kankou/1175.htm

丹生川上神社(にうかわかみじんじゃ)は、奈良県吉野郡東吉野村にある神社。式内社(名神大社)、二十二社(下八社)の一社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。

社伝に因れば、鎮座地は神武天皇が天神の教示によって天神地祇を祀り、戦勝を占った地であり、白鳳4年(675年)に罔象女神を御手濯(みたらし)川(高見川)南岸の現摂社丹生神社の地に奉斎し、その後現在地に遷座したものと伝えるが、寛平7年(895年)の太政官符(『類聚三代格』所収)には、当時の丹生川上神社の祝や禰宜の解を引き、『名神本紀』という書に「『人声の聞こえない深山で我を祀れば、天下のために甘雨を降らし霖雨を止めよう』との神託により創祀した」との伝えがあることを記してる。
吉田兼倶撰といわれる『二十二社注式』には、天武天皇の白鳳乙亥年(4年)に垂迹し、大和神社の別宮になったと記されているので、吉野と浅からぬ関係にあった同天皇によって創祀されたものとされている。古来大和神社(天理市鎮座)の別社とされ、祈止雨の霊験著しい雨師神として、朝廷から重んじられ、宝亀4年 (773年)には神戸4烟が充てられている(『続日本紀』)。
律令制時代を通じて祈雨神祭祭神に預かり、祈止雨祈願のために貴布禰社とともに奉幣がなされた例は枚挙に遑がないが、その折には奉幣使に大和神社の神主が従う定めとされていた。『延喜式神名帳』では官幣大社(名神大社)に列格し、律令制の弛緩に際しても、二十二社の1社にもなるなど朝廷からの厚い崇敬は変わらなかったが、次第に奉幣も減少するなど衰微していき、応仁の乱以降は、ついにその所在すら不明となるに至った。
なお、社伝では中世以降たびたび造改築されたことが伝えられており、当神社所蔵の慶安3年(1650年)の造営の上梁文には、当初の鎮座地に丹生神社を新造するとともに、本社を金剛峯寺の鎮守神に倣って「蟻通明神」と改称した旨が記されている。
近世以降『神名帳』の研究が盛んになり、特に式内社の所在地が問題とされるようになると、まず丹生川上神社下社が式内大社丹生川上神社に比定され、次いで明治に入って上社が比定されたが、大正4年(1915年)に森口奈良吉が『丹生川上神社考』を著し、明治以降郷社に列していた当神社が式内丹生川上神社であることを考証し、その後の調査でそれが立証されたため、同11年に社名を「蟻通神社」から「丹生川上神社」に改称、上下2社に対して「中社」を称するとともに、3社を合わせて「官幣大社丹生川上神社」として社務所が置かれるなど、当神社がその中心に位置づけられた。第二次大戦後の官制廃止にともなって、昭和27年(1952年)に3社はそれぞれ独立、当神社は現在神社本庁に属して、その別表神社とされている。

奈良県吉野郡東吉野村小968

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