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八坂神社

名称 八坂神社
住所 605-0073 京都府京都市東山区祇園町北側625
拝観時間
拝観料金 無料
URL http://www.yasaka-jinja.or.jp/

素戔鳴尊(すさのおのみこと)、櫛稲田姫命(くしいなだひめみこと)およびその御子八柱神(やはしらかみ)を祭神とする。
明治以後八坂社と称し、古くは祇園社と呼ばれ、一般に「祇園さん」の名で親しまれており、全国祇園社の根本神社である。
この神社は貞観18年(876)僧円如(えんじょ)が牛頭天王(ごずてんのう)を迎えたのが起こりといわれ、牛頭天王が素戔鳴尊になって現れたといわれる疫病除けの神である。
疫病流行に際し、京都の人々はこの神を祭って疫神をはらおうとした。
こうして祇園会が始まり、平安時代中期から山鉾巡行も起こり、幾多の変遷を経て現在も毎年7月祇園会が当社の祭礼として盛大に行われる。
一方本殿は平安時代の初め藤原基経(もとつね)がこの地に観慶寺感神院を建て寺内に本殿を設けたのが始まりといわれる。
現本殿(重要文化財)は承應3年(1654)の再建であるが、平安時代末期の様式を伝え祇園造として有名である。
東山通に面する樓門は西門で室町時代の建物(重要文化財)である。
なお、毎年元旦未明に行われるおけらまいりも有名で多数の市民で賑わう。

◆由緒
素戔嗚尊(すさのをのみこと)・櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)及び八柱御子神(やはしらのみこがみ)を祭神とする神社で、一般に「祇園さん」又は「八坂さん」として親しまれている。

社伝によると、平安遷都以前の斉明天皇2年(656)にこの付近に素戔嗚尊を祀ったのが当社の起こりといわれている。

京都三大祭の一つである祇園祭(ぎおんまつり)は、毎年7月に行われる当社の祭礼で、平安時代の貞観(じょうがん)11年(869)に各地で疫病が流行した際に、当時の国の数に合わせて六十六本の鉾を立て、神泉苑に神輿を送り、その鎮まりを祈った御霊会(ごりょうえ)(怨霊を退散させる祭り)を起源とするもので、天禄元年(970)ころから毎年行われるようになった。

大晦日の夜から元旦にかけて行われる「をけら詣り」は、薬草である「をけら」を混ぜて焚いた「をけら火」を授かり、新年の無病息災を祈るもので、毎年多くの人でにぎわう。また、1月3日には十二単衣姿の女性による「かるた始め」が行われる。

◆青龍石の云われ
古くから、八坂神社本殿の位置は平安京の東(青龍の神に護られた土地)にお祀りされています。

陰陽道の思想(風水思想 等)では 青龍は気が集結する場所と考えられ、御本殿の床下の池(龍穴)には大地の気(力)が水と共に湧き出ているとされています。その青龍の地から湧く水で清め 八坂の大神様に供えた 石が「青龍石」も云われです。青龍石をお持ちになり 八坂の大神様の御利益と 平安京の大地の大いなる「力」をお受けください。

青龍石は 御自身でお持ちになると「力」を頂き、家の神棚か、家の中心より東(青龍)の位置にお祀りすると「福」を呼ぶと言われています。

◆祭神 蘇民将来
むかし祖神(おやがみ)が諸国を巡っては日暮れに宿を請うたところ巨旦将来(こたんしょうらい)は富み栄えていたのに貸さず、蘇民将来(そみんしょうらい)は貧しかったけれども粟穀で座をしいて粟の粥で手厚くもてなしましたので、「われはハヤスサノヲの神なり」といい、後年疫病が流行しても茅の輪をつけて「蘇民将来の子孫なり」といえば、災厄から免れしめると約束され、巨旦将来の子孫は皆絶えてしまいましたが、蘇民将来の子孫は今に栄えています。

京都府京都市東山区祇園町北側625

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