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宝菩提院 願徳寺

名称 宝菩提院 願徳寺
住所 610-1153 京都府京都市西京区大原野南春日町1223-2
拝観時間
拝観料金
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地図に載っていない京都一小さな拝観寺院。凛とした観音様がおられます。
本尊は国宝の如意輪観世音半跏像です。

このお寺は、「仏華林山 宝菩提院 願徳寺」といいます。約千三百年前の白鳳8年(679)に持統天皇(天武天皇の皇后)の願いによって向日市寺戸に創建されたお寺です。
徳のある願いによって建てられた寺院故に「願徳寺」といいます。南北800m東西1300mに伽藍があった大寺院で、当時の本尊は薬師如来(現在は太秦の広隆寺に安置)でした。平成15年2月、寺院跡地より湯屋(風日)の跡が発見されました。現存する東大寺の湯屋より古く、9世紀以前のものです。中興の開山としては、平清盛の弟平教盛の子である小川法印忠快という人がおられます。忠快和尚は東山三条の宝菩提院におられましたが、後に宝菩提院と共に願徳寺へ移られました。
平安時代から鎌倉時代にかけては、天台密教の秘法を行い穴太流や西山派を生みだした密教の大寺院でありました。しかし応仁の乱と信長の兵火によって諸堂ことごとく灰尽となり、江戸時代に家康の加護を受けたものの、平安時代の寺院の面影はなくなりました。昭和に入り諸堂の荒廃が進み、本尊如意輪観音及び諸仏は昭和37年に向日市寺戸より勝持寺(花の寺)に移動安置され、本堂と庫裡は48年にこの地に再建されました。34年を経、本尊如意輪観音及び諸仏は平成8年12月に勝持寺より願徳寺に帰座されました。

◆如意輪観世音菩薩半蜘像(心願成就・子宝授与)
権(カヤ)の一木から彫られています。お顔の相や衣の様子から明らかに唐の様式による像で、中国よりの渡来仏あるいは渡来人の作の両説があります。色彩金箔を施して無く、木そのままのお姿で、1200年の間に自然に木の肌が変わって来ました。座り方は半蜘踏み下げの像・遊戯(華)座とも呼びます。白毫は水品、瞳は黒曜石。上の手は、生老病死などの恐れを取り除く(施無畏)、下の手は、願いを叶える(与願)という印です。

◆薬師瑠璃光如来(無病息災安産端正)
左手に薬壺を持った藤原時代のやさしい顔のお姿です。体・心の病気、安産・長寿、古くは疫病の知識が少なかったので疫病撲滅や平和でありますようにと国土安泰などお願いしました。現世利益と言って生きている聞のことをお願いします。
死後の極楽往生をお願いする阿弥陀様は、西方極楽世界におられますが、現世利益をお願いする薬師様は東方浄瑠璃世界におられますので、薬師瑠璃光如来とお呼びます。

京都府京都市西京区大原野南春日町1223-2

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