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曼殊院

名称 曼殊院門跡
住所 606-8134 京都府京都市左京区一乗寺竹ノ内町42
拝観時間 9:00~17:00
拝観料金     一般 団体割引 障害者(30人以上)割引 大人  600円 550円  450円 大学生 600円 550円  450円 高校生 500円 500円  400円 中学生 400円 400円  400円 小人  400円 400円  400円 6歳以下無料
URL http://www.manshuinmonzeki.jp/

曼殊院は、もと伝教大師の草創に始まり(八世紀)、比叡山西塔(さいとう)北谷にあって東尾坊(とうびぼう)と称した。天暦元年(947)、当院の住持、是算(ぜさん)国師は菅原氏の出であったので、北野神社が造営されるや、勅命により別当職に補せられ、以後歴代、明治の初めまで、これを兼務した。また天仁年間(1108~9・平安後期)、学僧、忠尋座主が当院の住持であったとき、東尾坊を改めて曼殊院と称した。現在の地に移ったのは明暦二年(1656)で、桂宮智仁親王の御次男(後水尾天皇)良尚法親王の時である。

親王は当院を御所の北から修学院離官に近い現在の地に移し、造営に苦心された。庭園、建築ともに親王の識見、創意によるところ多く、江戸時代初期の代表的書院建築で、その様式は桂離宮との関連が深い。歴代、学徳秀れた僧の多かった名刹である。(国宝、黄不動尊・古今和歌集曼殊院本を蔵する。)

◆由緒
最澄が比叡山に建立した一坊を起こりとする天台宗の寺院で、青蓮院(しょうれんいん)、三千院、妙法院、毘沙門堂(びしゃもんどう)と並ぶ天台宗五箇室門跡の一つに数えられる。門跡とは皇族や摂関家(せっかんけ)の子弟が代々門主となる寺院のことで、当寺では明応(めいおう)四年(1495)に、伏見宮貞常親王(ふしみのみやさだつねしんのう)の子、慈運大僧正が入手したことに始まる。

初代門主の是算国師(ぜさんこくし)が菅原家の出身であったことから、菅原道真を祭神とする北野天満宮との関係が深く、平安時代以降、明治維新に至るまで、曼殊院門主は北野天満宮の別当職を歴任した。

数度の移転を経た跡、天台座主(ざす)(天台宗最高の地位)を務めた良尚法親王(りょうしょうほうしんのう)により、江戸初期の明暦(めいれき)二年(1656)に現在地に移された。良尚法親王は桂離宮を造った八条宮智仁親王(はちじょうのみやとしひとしんのう)の子で、父宮に似て、茶道、華道、書道、造園等に優れ、大書院や小書院(ともに重要文化財)の棚や欄間、金具など、建築物や庭園の随所にその美意識が反映されている。

大書院の仏間には本尊の阿弥陀如来立像が安置され、小書院の北側には、八つの窓を持つ明るい茶室、八窓軒(はっそうけん、重要文化財)がある。優雅な枯山水庭園は国の名勝に指定されており、寺宝として、「黄不動」の名で知られる不動明王像(国宝)を蔵するが、現在は京都国立博物館に寄託されている。

◆名勝庭園 曼殊院門跡
桂の離宮・修学院離宮・曼殊院門跡は後水尾天皇と特別深い関係がある。桂の離宮が造営された八条宮智仁親王の次男、良尚親王(後水尾天皇猶子)が13才でご出家なされると、父君、智仁親王は喜んでこの地における曼殊院造営に助力された。

建築・作庭の基本理念は細川幽斉から伝授された古今和歌集(国宝)、古今伝授(重文)、源氏物語(重文)、伊勢物語、白氏文集等の詩情を形象化することであった。それが当院の大書院・小書院・枯山水の庭園となって実を結んだ。

良尚親王(1622~1693)は25才より29才まで天台宗の座主(管長)として一宗を司り、黄不動尊(国宝)に祀って密教を極めた。一旦下山し、御所において後水尾天皇を始め、親王、皇子の方々にお茶やお華を指導なされた。明暦2年35才の時、現在の曼殊院の堂宇の完成をみて永住、40年間、茶道・華道・香道・書道・画道を仏道修行の具現と悟達、それを通して人間の完成に精進された。その努力の遺跡が当院であり、芸術の香り高い江戸公家文学の遺芳なのである。

◆虎の間 (重要文化財)
(大玄関)襖は狩野永徳筆と伝えられる。(桃山時代)

◆竹の間 

(次の玄関)襖は江戸時代の版画。

◆孔雀の間 (江戸時代中期)
岸駒(がんく)筆。

◆大書院 (重要文化財)
江戸時代初期の書院建築。
奥の仏間は、もと書院の上段の間であったが、大書院西方にあった宸殿(しんでん)とりこわしの際(明治初め)、現在の場所にうつしたものである。本尊は阿弥陀如来。歴代の位碑を安置する。

なお、建築は、桂離宮との様式の類似に注意すべきで、引手等に種々の意匠をこらしている。(瓢箪、扇、等)

◆滝の間 
障壁画は狩野探幽筆。(江戸時代初期)床の間の中央に滝の絵があった。欄間は、月型、卍(まんじ)くずしである。

◆十雪の間(じゅせつのま)  
障壁画は狩野探幽筆。違い棚は、様式、用材ともに桂離官のものと同じで、同時に作られたものという。

◆庭園(名勝庭園指定)
遠州好みの枯山水(かれさんすい)である。庭の芯に滝石があり、白砂の水が流れ出て、滝の前の水分石(みずわけいし)からひろがり、鶴島と亀島とがある。鶴島には五葉の松(樹令約四百年)があって、鶴をかたどっている。松の根元にはキリシタン燈籠があり、クルス燈籠又は曼殊院燈籠と呼ばれる。亀島には、もと地に這う亀の形をした松があった。庭園右前方の霧島つつじは、五月の初旬、紅に映えて見事である。この枯山水は、禅的なものと王朝風のものとが結合して、日本的に展開した庭園として定評がある。

◆小書院 (重要文化財)
大書院とともに書院建築の代表的なものといわれ、とくに小書院は、その粋を示すものである。屋根は、大、小書院ともに柿(こけら)ぶき。釘かくしは富士の形に七宝の雲を配したもの。小書院入□の梟(ふくろう)の手水鉢は、下の台石は亀、傍の石は鶴をかたどっている。なお、奥に茶室「八窓席」がある。(非公開)

◆富士の間
襖は狩野探幽筆。額は、松花堂昭乗(しょうかどう しょうじょう)筆。(「閑静(かんじょうてい)亭」)欄間は菊を型どったもので、元禄模様の先駆をなすといわれる。

◆黄昏(たそがれ)の間
上段の間(玉座)。襖は探幽筆。違い棚は、曼殊院棚とよばれ、約十種の寄せ木をもって作られたもの。

◆丸炉(がんろ)の間
日常用の茶所。この奥に親王の日常の間がる。

◆中庭
一文字(いちもんじ)の手水鉢、井戸があり。庭の芯は松の根元の石。

◆庫裡 (重要文化財)
現在の通用口。石造の大黒天は鎌倉時代のもの、甲冑(かっちゅう)を帯びた姿で仏教の守護神となす。入口の大妻屋根の額「媚竈(びそう)」は良尚親王筆。論語はちいつ(はちいつ)篇に「その奥に媚(こ)びんよりは、むしろ竃(かまど)に媚びよ」とあるによる。

京都府京都市左京区一乗寺竹ノ内町42

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