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石清水八幡宮

名称 石清水八幡宮
住所 614-8005 京都府八幡市八幡高坊30
拝観時間
拝観料金
URL http://www.iwashimizu.or.jp/

平安時代始め、清和天皇の貞観元(859)年、南都大安寺の僧・行教和尚は豊前国(現・大分県)宇佐八幡宮にこもり日夜熱祷を捧げ、八幡大神様の「吾れ都近き男山の峯に移座して国家を鎮護せん」との御託宣を蒙り、同年男山の峯に御神霊を御奉安申し上げたのが当宮の起源です。
そして朝廷は翌貞観2(860)年、同所に八幡造(はちまんづくり)の社殿(六宇の宝殿[ろくうのほうでん])を造営し、4月3日に御遷座されました。

天慶2(939)年に起こった平将門・藤原純友の乱の折には、朝廷よりご請願があり八幡大神様の御神威をもって速やかに平定されて以来、国家鎮護の社として皇室の御崇敬は益々厚いものとなり、 天皇の行幸や上皇の御幸は、円融天皇(第64代)の行幸以来、実に240余度にも及び、伊勢の神宮に次ぐ第二の宗廟とも称されました。

明治の初めには官幣大社に列せられ、「男山八幡宮」と改称されましたが、「石清水」の社号は創建以来の由緒深い社号であるため、大正7年には再び「石清水八幡宮」と改称され現在に至ります。

清和天皇の貞観元年(859)奈良大安寺僧、行教律師は宇佐八幡大神の御託宣を蒙り、時の朝廷は木工権允橘良基に勅して、宇佐宮に準じ六宇(正殿三宇、外殿三宇)の社殿を造営(860)八幡大神を此の男山(雄徳山)にお鎮め申し上げました。これを以て本宮鎮座の起源とします。

◆由緒
当宮は、御鎮座以来皇城の護りとして皇室の御信仰は特に篤く、伊勢の神宮に次ぎ第二の宗廟として社格は高く天元2年(979)円融天皇行幸以来、明治10年(1877)明治天皇の行幸に至るまで、行幸回数七十余度、上皇の御幸百七十余度、女院、親王の御参拝は数知れぬほどであります。

当宮の崇敬は公家に限らず、武運長久、厄除開運を始めとして、遍く勝運に係わる御神徳により武家にも篤く、源義家がこの神前で元服して八幡太郎の名を戴いた事や、源頼朝による鶴岡八幡宮勧請、室町将軍の祈願、さらには織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の所領寄進などその例は数えきれません。

また、当宮分霊社は全国津々浦々に奉祀され、現在全国八幡宮という組織をもって八幡信仰の隆昌に努めています。

◆鎮座地男山
古記に雄徳山、牡山、丈夫山とあり、八幡山とも称えた。標高は御本殿付近で124メートル弱に過ぎないが、南は洞ヶ峠を経て生駒山に連なり、北は木津・宇治・桂の三川合流し淀川を形成する地に臨んで天王山と対峙し、古来、京都・大坂・奈良を結ぶ水陸交通・政治・経済・軍事上の要衝として重視された。男山の東中腹には霊泉「石清水」が湧出し、その近傍には本宮御鎮座以前、行基開創の石清水寺という山寺が存したと伝えられる。

◆御鎮座
平安時代前期の貞観元年(859)、南都大安寺の高僧行教は、豊前国(現大分県)宇佐八幡宮に一夏参籠、その最終日に当たる7月15日夜半に八幡大神より「吾須く近都に移坐して国家を鎮護せん」との御託宣を蒙り、翌月「石清水男山の峰」に八幡三所大神の神霊をお鎮め申し上げた。

清和天皇の勅を奉じた朝廷は、木工権允橘良基に命じ男山山上に六宇宝殿を建立、ここに翌貞観2年(860)4月3日、正式に鎮座された。

◆皇室の御崇敬
皇室の御崇敬は殊に厚く、伊勢の神宮に次ぐ天下第二の宗廟と称せられ御歴代の行幸70余度、上皇の御幸180余度に及ぶ。承平・天慶の乱、文永・弘安の役、嘉永より慶応年中に至る国事多端の節など所謂「国難」に際しては、特に奉幣・御祈願の事あって護国の霊威を史上に耀かしめ給うた。毎年9月15日斎行の石清水祭には、勅使を御差遣になり御幣物をお供えになるなど、厚き御崇敬の程は昔も今も変わるところがない。

◆諸家の崇敬
摂関家を始め源平藤橘の各氏は何れも当宮を崇敬したが、中でも清和源氏・村上源氏などの諸源氏は当宮を一門の氏神と仰ぎ、特に武門として栄え源頼信・頼義父子の門流は当宮に武運長久と家門の繁栄を祈願、頼義の嫡男義家は当宮で元服し「八幡太郎」と名乗り、その五代目に当たる頼朝も篤い崇敬を寄せた。さらに足利将軍家、戦国期の諸大名、織田・豊臣両家、徳川将軍家など、何れの武家も当宮を篤く敬い、社領等を寄進した。

◆御社殿
社殿は創建以来、造営六度、修理十七度を数え、重要文化財(旧国宝)の現社殿は寛永11年(1634)、徳川三代将軍家光の造営に係るものである。前後二棟から成る「八幡造」の本殿に幣殿・舞殿・楼門が連なり、その周囲を長さ180メートルに及ぶ廻廊が囲繞する。建物の主要部分は丹漆塗で、名匠たちの手になる彫刻には極彩色が施されている。

また御本殿には天正8年5月に織田信長が寄進した長大な「黄金の樋」も架かっている。

◆境内地
境内面積は約25ha(約七万六千坪)、その内の御本殿周辺を中心とする約18haは京都府の歴史的自然環境保全地域に指定されている。春は桜、秋は紅葉が美しく、楠木正成公ゆかりの楠、重要祭祀の御料として宮中に献上されるヤマアイやマダケなど、多種多様な植物が生い茂る。その他、神仏分離で廃絶した僧坊の跡や史跡松花堂跡、四百八十余基もの石燈籠、発明王トーマス・エジソンの記念碑など、境内には見るべきものが多い。

◆御神徳
八幡大神は邪を攘い給う力強い武神であるとともに、衆生を救済し給う慈悲深き大菩薩でもあるとされ、年齢・性別・地域などの枠を超え、あらゆる国民から親しまれ崇められた。八幡大神の御神徳は、もとより広大無辺であるが、特に「勝運」「厄除開運」の神として名高く、当宮でも古来正月三ヶ日と十五日から十九日に至る厄除大祭を中心に、一年間の御加護を願い霊験あらたかな八幡御神矢・御神札等を求める参拝者で社頭が賑わう。

京都府八幡市八幡高坊30

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