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谷ヶ堂最福寺

名称 谷ヶ堂最福寺
住所 615-8295 京都府京都市西京区松室地家山4-1
拝観時間
拝観料金
URL

松尾、谷ヶ堂、最福寺開山、延朗上人については、元享釋書、太平記、三井寺続燈記、雨月物語等に詳しく記されている。それによると、上人は、但馬国養父郡に生れ、幼にして父母を喪い、元養元年(1144)、15歳にして出家、安元2年47歳の頃帰京、この松尾山麓、神宮寺に住して、最福寺の七堂伽藍を建立された。太平記には、この寺を描写して『奇樹怪石の池上に、都卒の内院を移して四十九院の楼閣を並べ、十二の欄干珠玉天に捧げ、五重の塔婆金銀月を引き、恰も極楽丈殿七宝荘厳の優姿』とある。その後、源義経が寺の更なる興隆を願い、丹波国亀岡篠村施入を強要したので、上人は已むなくこれを受けたが、邑人には、免租や富民の善政を施す一方、当時流行した悪病難病の治療のため、寺内に浴室を造り、自ら病人の病気を癒す等して、多くの民衆の救済に献身し数多く化益、慈悲行を蹟まれ、松尾の上人として尊敬を集めた。最福寺は、その後の幾度の兵火でさしもの大伽藍も焼失し、再建ならずして現在に至る。※毎月12日午後1時より開帳
「焔の夕べ」(延朗上人、さしのべ観音竹とうろう祭)
 12日は延朗上人のご命日にあたり、初春の2月11日の日没より供養を行います。延朗上人は数々の歴史の狭間に生きられ、慈悲深い救いのお上人で、かつては霊元天皇の最福寺行幸があったことでも上人の遺徳を偲ぶことができます。太平記には、延朗上人が立てられた最福寺の景勝を描写して、『奇樹怪石の池上に、都卒の内院を移して四十九院の楼閣を並べ、十二の欄干珠玉天に捧げ、五重塔婆金銀月を引き、恰も極楽浄土の七宝荘厳の優姿』とあるほどの寺院でありましたが、多々の戦乱により、今は延朗上人坐像のみになりました。

京都府京都市西京区松室地家山4-1

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