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醍醐寺

名称 醍醐寺
住所 601-1325 京都府京都市伏見区醍醐東大路町22
拝観時間 9:00~17:00
拝観料金 三宝院、伽藍、霊宝館、 上醍醐それぞれ     一般 団体割引   大人  600円 400円    大学生 600円 400円    高校生 300円 200円    中学生 300円 200円   小人  無料  無料
URL http://www.daigoji.or.jp/

真言宗醍醐派の総本山である。
貞観16年(874)聖宝(しょうぼう)が、笠取山(上醍醐)に登って如意輪堂(にょいりんどう)、准胝堂(じゅんていどう)、五大堂を建立したのが当寺の起りで、延喜7年(907)醍醐天皇はこの寺を勅願寺とし、下醍醐に伽藍(がらん)を造営し、その興隆をみるにいたった。
しかし応仁の乱により、山下は五重塔をのこしてすべて焼失したが、桃山時代、義演(ぎえん)が豊臣秀吉の帰依をうけて復興した。
上醍醐准胝堂は西国11番の札所、また五大力尊に対する一般庶民の信仰もさかんで、当山派修験道山伏も当寺の統轄するところである。
五重塔(国宝)は天暦6年(953)に完成した京都最古の建物で、総高37メートル、相輪も大きく、五重塔の古式を示し、内部は、華やかに彩色されている。
金堂(国宝)は、慶長3年(1598)秀吉の醍醐の花見にさいし紀州湯浅から移建したもので、平安後期の建物。清瀧宮本殿(せいりゅうぐうほんでん)(重要文化財)は当寺の鎮守で、室町時代の建物である。
一山には多数の文化財が蔵されているが、宝物館に収蔵され、毎年4、5、10、11月に公開されている。

◆由緒
真言宗醍醐派の総本山で、平成六年(1994)に世界文化遺産に登録された。山上の上醍醐(かみだいご)と山下の下醍醐(しもだいご)から成る壮大な寺で、天暦(てんりゃく)五年(951)に完成した京都府域最古の五重塔(国宝)をはじめ、四万点にも上る多くの国宝や重要文化財を有している。

平安初期の貞観(じょうがん)十六年(874)に理源大師聖宝(しょうぼう)が、笠取山(かさとりやま・上醍醐)に登って観音像を彫刻し、安置したのが当寺の始まりとされており、延喜七年(907)に醍醐天皇の勅願寺となり、次第に大伽藍(がらん)が整えられた。

応仁の乱や文明の乱により、五重塔を残してすべて焼失したが、慶長(けいちょう)三年(1598)に豊臣秀吉が北政所(きたのまんどころ)らを醍醐の花見に誘ったことをきっかけに、秀吉の厚い帰依を受けて復興された。

本堂の金堂(こんどう・国宝)は、慶長(けいちょう)四年(1599)に紀州(現在の和歌山県)湯浅(ゆあさ)の満願寺から移築したものといわれ、三宝院(さんぽういん)庭園(特別史跡及び特別名勝)は、華麗で豪華な桃山時代の庭園で、秀吉の権勢をしのばせている。霊宝館には、薬師如来坐像(国宝)や秀吉所用の黄金天目茶碗などが収蔵されており、毎年春と秋に公開されている。

毎年四月第二日曜日には、千三百人を従えて盛大に行われたとされる当時の花見に倣って「豊太閤(ほうたいこう)花見行列」が行われ、多くの人でにぎわう。

◆聖宝・理源大師とその教え
醍醐寺の開山・聖宝尊師は、幼名を恒蔭(つねかげ)王といい、天長9(832)年2月15日現在の香川県本島でお生まれになられた。16歳の時、弘法大師の実弟・真雅僧正の弟子となり、真言密教はもちろん、奈良の東大寺を中心に南都の仏教(奈良仏教)を学んだ。

そして仏教教学を学ぶ一方、弘法大師伝来の密教修行や修法にも精進した尊師は43才の時に醍醐寺を開創され、さらには役行者の開いた大峯山に「峰入り」をなされ、龍樹菩薩、役行者と続く「祈りの世界」を霊異相承(目に見えない心のお話)として受け止められた。修験道を真言密教の祈りの世界を中心に、理論と実践方法を大成させたことから「大峯山中興の祖」、「当山派修験道の祖」と仰がれ、大峯山を「一乗菩提正当の山」とし、修行を通して自らの心と体で学んだことを「実修」という2文字であらわし、また学んで得たことを人々のために活かして行くことを「実証」とし、この二つの修行、即ち“入りて学び、出でて行う”ことを「実修実証」として説かれ、醍醐のみ教えの中心としました。

尊師は、延喜9(909)年7月6日に78歳で世寿を全うするまで、まさに「実修実証」の中に身をおき、醍醐教学を確立、真言宗小野法流の基礎を築くなかで、民間信仰である「修験道」と「密教」を融合させ、「民衆の救済」の為にその生涯を捧げられた。

寂後、高徳な人物に朝廷から与えられる諡号(シゴウ)「理源大師」の号が、宝永4(1707)年東山天皇によって贈られた。

京都府京都市伏見区醍醐東大路町22

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