東本願寺山科別院長福寺

真宗大谷派。東本願寺の山科別院。1732年(享保17)、本山17世真如上人が当時東本願寺の境内にあった長福寺を、現在地に移築し創建した。 本尊は阿弥陀如来立像。 毎年3月24.25日に蓮如上人御正当法要と9月24.25日に親鸞聖人報恩講が厳修される。 山科別院より南西へ徒歩3分、「真宗再興の祖」と仰がれる本願寺八世蓮如上人の御廟所がある。

蓮如上人廟所

蓮如(れんにょ)は、室町時代の浄土真宗の僧。本願寺第8世。本願寺中興の祖。 、「蓮如上人」と尊称される。諱は兼壽。院号は信證院。明治15年(1882年)に、明治天皇より「慧燈大師」の諡号を追贈されている。しばしば本願寺蓮如と呼ばれる。文献によっては「蓮如」と「辶 」(二点之繞)で表記される場合がある。真宗大谷派では「蓮如」と表記するのが正式である。 蓮如上人の廟所である。

本願寺山科別院

浄土真宗本願寺派。本願寺中興の祖と仰がれる蓮如上人ゆかりの聖地が、この山科別院であります。上人64歳の時、1478(文明10)年、近州・金森道西の願いにより、山科郷野村西中路に坊舎を建てられました。これが、山科本願寺の始まりです。 中宗堂にご安置されている蓮如上人像は、上人54歳の御自作として、永くご本山に伝えられてきましたが、明治期に中宗堂を本山中宗堂代と定められ、これよりこの御像は永く山科の地に安置されることとなりました。

折上稲荷神社

和銅4年(711年)、西野山(後稲荷山)の三の峯に稲荷神が降りられた同じ時にこの折上の森にも降りられ、伏見稲荷からはその神体山、稲荷さんの中心部を一直線上に通り真奥に当たることから[伏見稲荷の奥の宮]として信仰され、よりいっそう強力な稲荷のご利益がいただけるといわれています。 又、昔より女性守護のお稲荷さんといわれ、祇園の舞妓を世界的に有名にした[モルガンお雪]など働く女性の守り神として信仰されています。 建立:550年(古墳時代)頃

極楽寺

浄土宗。大石内蔵助が施主で、浅野内匠頭の位牌を同寺に納めている。 鎖帷子や硯箱など、義士の遺品も数多く残る。 庭にある五輪の塔は遺髪塚であったといわれる。

佛光院

当院は、昭和26年4月、かつて勧修寺の塔頭があったと伝えられる由緒ある地に、大石順教尼(じゅんきょうに)によって再興建立された寺院である。 順教尼は、もと大阪堀江の名妓で妻吉といったが、明治38年6月、中川万次郎6人斬り事件のまきぞえをうけて17才の身で両腕をきり落された。 この不幸のどん底から数々の苦難をのりこえ、求道(きゅうどう)者として出家得度(とくど)し犠牲者の追善とともに身体障害者の救済に生涯をささげた。 両手のないままに口に筆をくわえて書画を描き、非凡な才能を示し日展に入選、また日本人としてはじめて世界身体障害者芸術家協会の会員にも選ばれた。 ここ佛光院にあって、順教尼は全国身体障害者の心の母と慕われてきたが、昭和43年4月、奇しくも遭難したと同じ日の21日入寂(にゅうじゃく)した。 享年81才  何事も成せばなるてふ  言の葉を胸にきざみて  生きて来し我れ  順教尼

八幡宮 (吉利倶八幡宮)

平安時代文徳天皇の御代この地を鎮護国家の霊場とすべく社殿を創建し八幡様を勧請されました。 延喜格式を編纂し延喜帝とも称される醍醐天皇が勧修寺建立に際し 身を清められたとされる井もつたえられ その庭園の借景である八幡宮の御山が亀の甲羅のように観えるところから亀甲山と付けられたといわれております。故に神仏習合の時代は勧修寺の鎮守様でもありました。 御祭神に応神天皇・仲哀天皇・神功皇后を祀り 往古は王臣家の崇敬深く社祭には勅使の差遣があり 参詣者は盛んに五穀豊穣・平穏無事を御祈願されておりました。 現在の八幡宮本殿は元禄8年の再建(京都市指定文化財)拝殿は山階宮家の寄進 拝殿前の大きな御神矢は総代会が奉納されたものである。

山科神社

日本武尊(やまとたけるのみこと)・稚武王(わかたけのみこと)を祀る。 社伝によれば、寛平9年(897)宇多天皇の勅命により創建されたと伝え、以後、この地の豪族宮道(みやじ)氏の祖神として、また山科一ノ宮とも呼ばれてこの地の産土神として人々の崇敬を受けて栄えてきた。 盛時には、社領を丹波、山城に持ち、社殿の規模も大きかったが、度々の兵火のため焼失し、現在は、三間社流造の本殿及び権殿、拝殿、神庫などが残っている。 また、元禄14、5年(1701~02)赤穂浪士の大石良雄が山科の里に隠棲していたが、その時、当社奥の院岩屋神社に参篭して、大願成就を祈ったといわれている。 例祭は、「山科祭」と呼ばれ、毎年10月10日に行われる。

大乗寺

法華宗。縁起は古く300年以上前に遡るが、近年は檀信徒が殆どなく、廃寺の危機にあったところ、1993年現住職の着任以来、寺の復興が図られてきた。 現在では、毎年秋になると、1300本以上の酔芙蓉が境内に咲き誇る。境内には日蓮の晩年の歌碑や百人一首「源宗干朝臣」「宗千の祖父第五十八代光孝天皇」の歌碑、京都市詩吟連盟の歌碑他ニ基の歌碑が立つなど、文学の寺としても親しまれている。 平成15年の春近藤氏の寄贈になる酔芙蓉観音像が建立され多くの人々の参詣を得ている。