信貴山 千手院

信貴山千手院(せんじゅいん)は、奈良県生駒郡平群町にある信貴山真言宗の大本山。 朝護孫子寺の最古の塔頭であり、同時に最古の建造物(書院)を有する。 本尊は毘沙門天。境内には十一面観音を本尊とする観音堂や金運招福の銭亀善神を祀る。 信貴山千手院は、山内では最古寺院で朝護孫子寺(信貴山寺)の住職の自坊とされていた。 寺号は毘沙門天の本地仏千手観音に因むという。 信貴山は松永久秀の兵火により焼失、そのため歴史を記す書物が少ないが、 千手院には高瀬道常著『千手院代々記』と蓮体著『毘沙門天王秘宝蔵霊験記』などにより江戸から現在までの有様を知ることができる。 歴代住職が伝統として、毎日、毘沙門護摩を修行している。信貴山参詣者の宿坊でもある。

信貴山 玉蔵院

信貴山玉蔵院(しぎさんぎょくぞういん)とは、奈良県生駒郡平群町の信貴山にある総本山朝護孫子寺塔中の一つ。 平安時代、崇徳天皇の御代に、新義真言宗の開祖である覚鑁上人が信貴山に参篭した時、毘沙門天より真陀摩尼(ちんたーまに)という如意宝珠の珠を授けられ、この寺に蔵さめたという伝説から玉蔵院とよばれるようになったという。

信貴山 朝護孫子寺

 今から、1400年余前、聖徳太子は、物部守屋を討伐せんと河内稲村城へ向かう途中、この山に至りました。太子が戦勝の祈願をするや、天空遥かに毘沙門天王が出現され、必勝の秘法を授かりました。その日は 奇しくも寅年、寅日、寅の刻でありました。太子はその御加護で勝利し、自ら天王の御尊像を刻まれ伽藍を創建、信ずべき貴ぶべき山「信貴山」と名付けられました。以来、信貴山の毘沙門天は寅に縁のある神として信仰されています。  醍醐天皇の御病気のため、勅命により命蓮上人が毘沙門天王に病気平癒の祈願をいたしました。加持感応空なしからず天皇の御病気は、たちまちに癒えました。これにより天皇から朝廟安穏・守護国土・子孫長久の祈願所として「朝護孫子寺」の勅号を賜ることとなりました。また、朝護孫子寺は「信貴山寺」とも呼ばれ、多くの方に親しまれています。 大和国信貴山は毘沙門天王が日本で最初に御出現になった根本霊場です。今から千四百年前聖徳太子がこの地において仏敵物部守屋討伐を祈願されたおり虎をお供にされた毘沙門天王が出現され戦勝の秘法を授けられました。奇しくもその日が寅の年・寅の日・寅の刻でありました。そこで太子はこの山を「信ずべき、貴ぶべき山」として信貴山と名づけられ自ら毘沙門天王の尊像を彫み守護神としてお祀りになりました。      毘沙門天王のご尊体によろいかぶとを召されておられるのは、世の中のあらゆる邪魔者を退散してやるから心を強く持って、どんな苦しい困難に出会っても、がまん強い精神と慈悲の心を持って何事も行なえということを教えておられるのです。 又、右手に如意宝珠の棒を持っておられるのは、心ある者には、金銭財宝を意のままに授けて、商売繁盛させてやるぞとの思し召し、左手の宝塔は、この中に充満する福を、信ずる者の願いに任せて与えてやるとの福徳の御印です。 爾来 信貴山毘沙門天は七福神のなかでも商売繁昌、金運如意、開運招福、心願成就の霊験あらたかな福の神として広く信仰され、又ご出現の日時に因み聖徳太子にあやかって寅が三つそろうと三寅の福といい毘沙門さんのご利益が得られ縁起がよいとされています。 ◆由緒 今から1400余年前、日本国の平和を乱す朝敵物部守屋を討伐せんと、聖徳太子、此の山に来り戦勝の祈願をされるや、天空遥かに昆沙門天王が出現され、必勝の秘法を授けられた。 その日は奇しくも寅年、寅日、寅の刻であった。太子はその御加護で敵を滅ぼされ、世治まりて後、自ら天王の御尊像を刻まれ、伽藍を創建して、信ずべき山貴ぶべき山「信貴山」と名づけられ、以来信貴山の昆沙門天王は寅に縁りのある神として信仰されている。 御本尊毘沙門天王を安置し奉る本堂は大和平野を一望に見渡し、大和川の流れを眼下にする風光明眉な急崖に堂々と張り出した豪壮な堂宇である。 本堂正面扁額両側の首足(むかで)は昆沙門天王のお使い ◆福神 毘沙門天王 毘沙門天王は七福神のなかでも、商売繁昌、金運如意、開運招福、心願成就の徳を厚く授けて下さる福の神です。 信貴山毘沙門天王の、ご尊体によろい、かぶとを召されておられるのは、世の中のあらゆる、じゃま者を退散してやるというお姿で、見るからに恐ろしそうな尊顔は、心を強く持って、どんな苦しい困難に出合っても、がまん強い精神で何事も行えということを教えておられるのです。 又、右手に如意宝珠の棒を持っておられるのは、心ある者には、金銭財宝を意のままに授けて、商売繁昌させてやるぞとの思し召し、左手の宝塔は、この中に充満する福を、信ずる者の願いに任せて与えてやるとの福徳の御印です。 ◆信貴山頂 一願成就の空鉢護法(くうはつごほう) 当山中興の祖命蓮上人が竜王の教えを蒙り、信貴山縁起絵巻(飛倉の巻)の如く、鉄鉢を飛ばして山崎長者の倉を飛翔させ、長者を懺悔させて福徳を授けた出来事に由来し、念願必授を得んと願う人々のために山頂に竜王の祠を建てて、その守り本尊として「空鉢護法の神」を祀って日夜勤行されました。 爾来、多くの参詣者から、「一願成就」の霊験あらたかな守護神として信仰されてきております。 俗に「みーさん」と呼ばれ蛇(巳)神と考えがちでありますが拝殿の額には「竜王」のふりがなを「みーさん」としており拝殿前には、とぐろを巻いた蛇(巳)の石造が並んでおります。 ※竜王=竜神の姿を蛇(巳)に対応させている。 ご縁日 毎月3日・巳の日 ◆信貴山と虎 今から1400余年前、日本の国の平和を乱す朝敵物部守屋を討伐するため、聖徳太子が此の山に来たり、戦勝の祈願をされると頭上に毘沙門天王が出現され必勝の秘法を授けられました。奇しくもその日は寅年、寅の日、寅の刻でありました。 太子はその御加護で敵を滅ぼされ、世治まりて後、自ら天王の御尊像を彫まれ、伽藍を創建して、信ずべき、貴ぶべき山「信貴山」と名づけられました。 以来、信貴山の毘沙門天王は虎に縁りのある福の神として、寅年、寅の日を縁日と定め大法要が行なわれます。