伏見稲荷大社御旅所

御旅所とは、祭礼のときに神輿を本宮から移し一時的に奉安する場所のことです。 伏見稲荷大社の御旅所は、かつては「油小路七条」と「八条坊門猪熊」の2箇所にありました。 その後、豊臣秀吉が一つに合わせてこの地に移したと伝えられています。 普段は静かな御旅所ですが、4月・5月の稲荷祭の期間には一変し、大変賑わいます

城興寺

瑞宝山と号する真言宗泉涌寺派の寺院で、洛陽三十三所観音めぐりの第二十二番札所となっている。 この地は、太政大臣藤原信長の邸宅であったが、知足(ちそく)院関白藤原忠実(ただざね)が伝領して、永久元年(1113)に寺に改めたといわれる。 創建当初の規模は明らかではないが、寺宝に有する境内伽藍図には現在の烏丸町全域にわたって寺域としていた様が描かれている。 当初は、四宗(顕・密・禅・律)兼学の道場であったが、のちに天台宗となり、天台座主最雲法親王の没後、その弟子の以仁王(もちひとおう)が当寺を領した。 その後、治承3年(1179)、平氏によって寺領を奪われ、このことが、平氏討伐の挙兵の一因になったと考えられている。 中世を通じて、延暦寺の管理に属したが、応仁の乱後、衰微し、現在は円仁(えんにん)の作と伝えられる本尊千手観音像を安置する本堂のみが残っている。

観智院

教王護国寺(東寺)の塔頭(たっちゅう)(小院)の第一で、別格本山である。延慶元年(1308)後宇多法皇が東寺西院に3年間参籠され、21院を建立されたうちの一つで杲宝(ごうほう)を開基とする。 代々学僧が住し、東寺塔頭中もっとも格式が高く、当院の住持が東寺の別当職をかねた。 古来多くの経文、書籍を所蔵していて有名で、徳川家康が古書を調査して、一宗の勧学院として後学の用に供するよう命じたことがある。 現在の建物は、慶長10年(1605)完成の客殿を中心に、本堂、書院、土蔵、門など何れも江戸時代の建築である。客殿(国宝)は、入母屋造、銅板葺の代表的な書院造の住宅建築で襖絵は宮本武蔵の筆と伝えられる。 本堂には山科安祥寺の恵運(えうん)が唐から伝来した五大虚空蔵菩薩(こくぞうぼさつ)を安置していたが、現在は国宝に指定されている経文、書画、工芸の名品多数と共に東寺収蔵庫に収められている。

東寺(教王護国寺)

真言宗の総本山である。平安京遷都とともに延暦15年(796)羅城門の東に左京、東国の鎮護のため建てられたのが当寺の起りで、弘仁14年(822)空海(弘法大師)に下賜され、名を教王護国寺と改めて、真言宗の根本道場となった。 4250