霊山観音

霊山観音(りょうぜんかんのん)は京都市東山区にある観音像で、第二次世界大戦の戦没者および戦争の犠牲者を追悼するため、1955年、帝産グループ創設者、石川博資によって建立された。高さ24m、重さは約500t、鉄骨コンクリート造。運営は宗教法人霊山観音教会が行っている。観音像の下には内陣があり本尊の十一面観音が祀られている。メモリアルホールには世界無名戦士の碑があり日に4回の法要が営まれている。

専定寺(烏寺)

1200年の初期に専定法師開創。寺伝では、専定という僧が木陰で休んでいると、松の枝で二羽の烏が「きょうは熊谷蓮生坊が極楽往生する日」と話すので、みると、烏は熊野権現の姿に変わって飛び去り、同時刻に蓮生坊は死んだという。これに因んで烏寺の別称が生まれた。 浄土宗西山禅林寺派。(非公開) 建立:1200(寛文6)年 御本尊御白河上皇の念持佛である。

泰産寺

清水寺の本堂から錦雲渓をへだてた丘の上にある。総丹塗り、桧皮葺の三重塔(重文)で江戸時代初めの再建。 清水寺の塔頭で泰産寺という寺名をもつ。塔内には千手観音が安置されている。 寺伝では聖武天皇・光明皇后がこの観音に祈願され、孝謙天皇を安産されたので、その報恩のため建てられたという。後世、安産祈願の信仰が生まれ子安観音とあがめられる。塔前からの清水寺全景の眺望は素晴らしく、東山の光景になくてはならない塔でもある。

雙林寺

唐から持ち帰った天台密教疏500巻などを献上した最澄のために桓武天皇が左大史尾張定鑑に命じ伽藍を建立させたのが始まり。 1384年(至徳1)時宗国阿上人が再興。国阿派の本山となったが、明治初年、天台宗に復した。 本尊薬師如来(重文)は平安初期の作。