脳天大神 龍王院

金峯山寺の蔵王堂から西側へ急な坂を下りた川沿いにある、金峯山寺の塔頭のひとつ。 頭を割られた大蛇(金剛蔵王大権現の変化身)を祀っており、「吉野の脳天さん」と親しまれています。 首から上の病気に霊験あらたかと言われており、入学試験合格、病気全癒、商売繁盛祈願の参拝参詣者が多く訪れます。

金峯山寺銅鳥居

銅鳥居(重文)-銅鳥居と書いて「かねのとりい」と読む。 聖地への入口、俗界と聖地の境界を象徴する建造物である。吉野から大峯山(山上ヶ岳)までの修行道には発心門、修行門、等覚門、妙覚門という、悟りへの4つの段階を象徴した門が設定されているが、そのうちの「発心門」にあたるのがこの鳥居である。 鳥居の柱が蓮台の上に立っているのは、神仏習合の名残りである。東大寺大仏を鋳造した際の余りの銅で造ったという伝承があるが、現存するものは室町時代の再興である。

喜蔵院

喜蔵院(きぞういん)は、奈良県吉野郡吉野町にある大峰山の護持院。本山修験宗別格本山。役行者霊蹟札所。山号は吉野山。開山は円珍(智証大師)。 桜の名所として知られる吉野山の中腹に位置する。平安時代に京都聖護院の一院として創建された。 江戸時代には儒学者熊沢蕃山が滞在したとされ、境内にはその際の句碑が残されている。 現在は宿坊も営み、本山修験宗の大峯奥駈修行の重要寺院としても知られている。

弘願寺

吉野山の黒門をくぐって最初に有るお寺。本尊は阿弥陀如来立像(県指定文化財)で鎌倉時代の正元2(1260)年の作です。 歯痛に霊験があるといわれる関屋地蔵を祀っており、毎年6月4日には歯がため地蔵祭が行われます。

東南院

東南院(とうなんいん)は、奈良県吉野郡吉野町にある大峰山の持護院。金峯山修験本宗別格本山。役行者霊蹟札所。山号は大峯山。開山は役行者。 霊地霊山は、霊地を開くときに中心になる伽藍を建て、そこから巽(東南)の方角に当たる所に寺を建て、一山の安泰と興隆を祈願した。金峯山寺より東南に位置する。現在は宿坊も営む。

桜本坊(櫻本坊)

桜本坊(さくらもとぼう)は奈良県吉野郡吉野町にある金峯山修験本宗別格本山。大峯山寺の護持院5箇院の1つでもある。本尊は神変大菩薩(役行者)。山伏文化の殿堂と言えるほど多くの文化財が残されている。役行者霊蹟札所。正式な表記は櫻本坊。 伝承によれば、天智天皇から逃れた弟の大海人皇子(後の天武天皇)は、「桜本坊」の前身である日雄(ひのお)離宮にとどまっていた。ある冬の日に桜が咲き誇っている夢を見た皇子が役行者の高弟・日雄角乗(ひのおのかくじょう)に訊ねたところ、「桜の花は花の王と云われ,近々皇位に着くよい知らせです」と答えた。その後、壬申の乱に勝利し,皇位に着いた天武天皇は、夢で見た桜の木の場所(日雄離宮)に寺を建立したとされる。 文禄3年(1594年)に行われた豊臣秀吉の花見の際には、関白・秀次の宿舎となった。もとは金峯山寺の蔵王堂の前に在って密乗院と称していたが、明治初年の神仏分離の際に「桜本坊」と改称された。現在は宿坊も営む。

吉水神社

吉水神社(よしみずじんじゃ)は、奈良県吉野郡吉野町にある神社である。旧社格は村社。世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一つとなっている。「吉」の正確な表記は(「土」の下に「口」、つちよし)である。 5110

如意輪寺

如意輪寺(にょいりんじ)は、奈良県吉野郡吉野町にある浄土宗の寺である。山号は塔尾山(とうのおさん)。本尊は如意輪観音。本堂の背後には、吉野の地で崩御した後醍醐天皇の陵・塔尾陵(とうのおのみささぎ)、世泰親王墓がある。 平安時代の延喜年間(901年 - 922年)に日蔵上人により開かれたと伝わる。南北朝時代、後醍醐天皇が吉野に行宮を定めた際に勅願所とされたが、天皇は還京叶わぬまま崩御して本堂裏山に葬られた。以来寺運は衰えたが、慶安3年(1650年)文誉鉄牛上人によって本堂が再興され、その際に真言宗から浄土宗に改宗した。 正平2年(1346年)12月、楠木正成の長男・楠木正行が四條畷の戦いに出陣するに際し、一族郎党とともに当寺にある後醍醐天皇陵に詣で、辞世の歌「かへらじとかねて思へば梓弓なき数に入る名をぞとどむる」を詠んだという。正行は当寺本堂の扉に鏃(矢じり)で辞世の句を刻んだとされ、その扉とされるものが今も寺に伝わる。 芭蕉は、ここに立ち寄った折、「御廟年を経てしのぶは何をしのぶ草」などの句を残している。