橋寺(放生院)

古代より、水辺、特に橋は心霊が宿るところとされており、橋姫はその守り神です。 瀬織津比咩を祭神とする橋姫神社は、明治3年の洪水で流失するまでは宇治橋の西詰にありました。 境内には橋姫神社とならんで、同じく水の神である住吉神社が祀られています。 交通の要衝として発展してきた宇治にとって、宇治橋はとりわけ大きな意味を持っており、橋姫神社を巡って数々の伝承を生み出しています。 また、宇治が主要な舞台となっている、源氏物語宇治十帖の第一帖は「橋姫」と名づけられており、橋姫神社はその古跡となっています。 ◆由緒 孝徳天皇の御宇大化二年、南都元興寺の僧道登勅許を得て創めて宇治橋を架するにあたり其鎮護を祈らん為、宇治川上流櫻谷に鎮座まします瀬織津比咩の神を橋上に奉祀す。これより世に橋姫の神と唱ふ今の三の間と称するは、即ち其鎮座の跡なり。 後祠を宇治橋の西詰の地に移し住吉神社と共に奉祀す。明治維新までは、宇治橋の架換ある毎に新たに神殿を造営し神意を慰めたりしが、明治三年洪水の為め社地流出してより此の地に移す。 住吉神社は、往古は宇治川の左岸櫻の馬場にありし小社なり。彼の源平盛衰記に、平等院の北東の方結の神の後より武者二騎云々とあるもの即ちこれなり。 尚かの源治物語宇治十帖のうち橋姫の巻といふ一帖は、これに因みしものなるべし。 さむしろに衣かたしき今宵もや、我をまつらん宇治の橋姫。 古今集。 あじろ木にいさよふ浪の音ふけて、獨や袮ぬる宇治の橋姫。 新古今集。 はしひめのもみちかさねやかりてまし、たびねは寒し宇治の川風。 蓮月集。