名称 | 乙訓寺 |
住所 | 617-0814 京都府長岡京市今里3丁目14-7 |
拝観時間 | |
拝観料金 | |
URL | http://www.eonet.ne.jp/~otokunidera/ |
早良親王(桓武天皇の弟)が幽閉されたことで知られる乙訓寺は、長岡京造営以前から、かなりの規模の寺院であったことが寺院北側一帯の発掘調査によって判明している。
弘仁2年(811)唐から帰朝した空海(弘法大師)は、同年11月に乙訓寺別当に任じられ、その修理造営を命じられた。空海は、弘仁3年10月、高雄寺に移ったが、ここに真言宗に由緒の寺としての歴史に印された。
中世には足利義満がこの寺を南禅寺の白英徳俊(応永10年寂)に与え、禅宗寺院として再出発した。法皇寺の寺号も称した。
5代将軍綱吉およびその生母桂昌院の信任の篤かった護持院隆光は、真言寺院としての乙訓寺再興を計画した。当時、乙訓寺は南禅寺金地院の兼帯地であったので、東山豊国神社辺にあった文殊院屋敷を拝領し、金地院と交換して乙訓寺の地を入手した。工事は元禄7年(1694)12月8日に起工、翌8年5月21日竣工し、6月15日に供養した。造営後は宝永2年(1705)8月まで隆光の直接支配下にあったが、この年に長谷寺に芳運房元貞が入山して一世となり翌3年11月に護摩堂が建立された。近世中期の寺観は都名所図会により窺うことができる。
京都府長岡京市今里3丁目14-7