松花堂庭園

松花堂(しょうかどう)は、江戸時代初期の僧侶(石清水八幡宮の社僧)で文化人であった松花堂昭乗がその晩年の寛永14年(1637年)に構えた草庵の名称である。 現在の京都府八幡市、石清水八幡宮のある男山の東麓に泉坊という宿坊があり、その中にこの草庵があった。 男山には石清水八幡宮に所属する宿坊が多数建っており「男山四十八坊」とも呼ばれたが、明治初年の神仏分離で宿坊はすべて撤去され、松花堂も旧所在地の南方に移築。 現在は「松花堂庭園・美術館」という文化施設となっており、財団法人やわた市民文化事業団が管理運営している。 現・松花堂は、移転前の旧地とともに「松花堂及びその跡」の名称で国の史跡に、「松花堂及び書院庭園」の名称で国の名勝に指定されている。

宝積寺(宝寺)

養老7年(723)11月23日、龍神が唐土より万宝第一(何事も叶う)の打出と小槌を我国に伝来されました。神亀元年(724)、聖武天皇は行基菩薩に勅命され寶積寺を建立し、打出と小槌を奉納されました。 しばらくして御本尊大黒天神を印度よりお招きし、お祭り申し上げました。以来、財福・繁栄・増進の神様と崇められ詣されております。 当寺は、木津川・宇治川・桂川の三川合流を望む天王山中腹にあり、その昔大洪水で橋が流出し民衆が途方にくれていたとき、どこからともなく一人の翁が現れ、水面を自由に歩き、見事橋を復元されました。その翁は山に登り、当寺本堂のお厨子に入られました。 以来、本尊の十一面観世音菩薩が翁に化身され、橋をかけられたと評判がたち、橋架観音(はしかけ観音)と呼ばれるようになりました。 天正10年(1582)の山崎の合戦、元治元年(1864)の蛤御門の変に於いて、当寺へ陣地となり戦禍を蒙り、伽藍は一時荒廃しましたが、歴史の重要な舞台ともなり、どの時代にあっても現世利益の信仰はすたれることなく、今日もなお興隆の一途を歩んでおります。

飛行神社

航空界のパイオニア・二宮忠八は、飛行原理を発見し、飛行機の開発に尽力した人物で、日本人初のゴム動力によるカラス型飛行器や、人が乗れる玉虫型飛行器を考案しました。 飛行神社は、忠八が航空安全と航空事業の発展を祈願し、大正4年(1915)に創建したもの。 現在の社殿、拝殿、資料館は平成元年(1989)に飛行原理発見百周年を記念して建て替えられました。 ◆由緒 鎮座 大正4年(1915年)3月10日 当神社は明治24年4月29日に世界に誇るゴム動力プロペラ式飛行器の飛翔実験に成功した二宮忠八が、後進の航空殉難者の尊霊を慰めるべく崇め祀った神社である。 晩年自ら神職に就き昭和2年改修して朝夕航空安全の奉仕をしたが、昭和11年に没した。 昭和25年忠八の次男顕次郎が、再興にあたり、「空はひとつなり」の信条のもとに、あまねく全世界の航空先覚者並びに遭難者の霊を迎え祀っている。現在の本殿及び集会所(資料館)は平成元年忠八の飛行原理発見百周年を記念して全面改築したものである。

単伝庵(らくがき寺)

お堂の壁に願い事を書くと叶えられるということから「らくがき寺」とも言われています。 今から200年前、京都妙心寺の単伝和尚が人々の不慮の災難を救うことを発願して、けが除け・厄除の救昔観音を安置し祈祷修繕されたのが単伝寺再興の由来です。 現在、2月節分・5月3日・8月3日・11月3日と年四回箸供養を厳修し、けが除け祈祷箸を授与し、精進料理の接待をしています。 仏教では、世の中のすべては、地・水火・風・空の5つの元素(玉大)の組み合わせによりできているとされています。この玉大を型取った台座(方・円・三角・半月・台形の5つを組み合わせた台座)の上の安置されているのが五大釈迦で、5大の過不足を調整し、全てのものごとを円満に成就し身心の健祥と財福を守護して頂きます。 8月・12月を除く年10回、この五大釈迦にみまもられて坐禅会を行っています。 ◆走り大黒天 南北朝時代、石清水八幡宮の改築に際して、楠正成が武運長久を祈願して寄進した楠木の残り株から刻まれたこの走り大黒天は、にこ やかに微笑みながら蓮華の実の上で袋を担ぎ、走っておられます。参詣する人には開運の本命神、そしてまた、福徳円満を自在に授け る神として信仰されています。

妙喜庵

妙喜庵(みょうきあん)は京都府乙訓郡大山崎町にある仏教寺院のことで、山号は豊興山。妙喜禅庵とも称します。「妙喜庵」の寺号は、宋の大慧禅師の庵号からつけられたもので、連歌の祖である山崎宗鑑が住んでいたとの説があります。 この庵には、なんと言っても国宝の茶室「待庵(たいあん)」があることにつきます。待庵は、日本最古の茶室建造物であると同時に、千利休が作ったと信じうる唯一の現存している茶室です。

離宮八幡宮

貞観元年(859)、宇佐八幡宮より鎮座。石清水八幡宮として創建。後に離宮八幡宮と称する。地域の発展と人類の平和を祈願し現在に至る。 平安時代、わが国初の荏胡麻による製油が始まり、鎌倉時代に油座が結成される。本邦製油発祥の神社