松尾寺

松尾寺(まつのおでら)は、京都府舞鶴市にある真言宗醍醐派の寺院。西国三十三所第29番札所。 舞鶴市と福井県大飯郡高浜町との境にある青葉山の山腹に位置する。 毎年5月8日に行われる仏舞は有名。本尊は馬頭観世音菩薩坐像。 寺伝によれば、中国から渡来した威光上人が慶雲5年(708年)ここに草庵を結び馬頭観音像を安置したのが創始とされている。

金剛院

金剛院(こんごういん)は京都府舞鶴市にある真言宗東寺派の寺院。山号は鹿原山、寺号は慈恩寺。本尊は波切不動明王。 三島由紀夫の小説「金閣寺」の舞台である。 秋には、江戸時代に細川幽斎(藤孝)が鶴亀の庭とともに植樹された楓が有名で多くの参拝がある。 『金剛院慈恩寺縁起』(元禄11年・1698年)によれば、天長6年(829年)、高岳親王(たかおかしんのう、799 - 865)が高野山から弁才天を勧請し創建したという。平城天皇の第3皇子の高岳親王は、嵯峨天皇の皇太子となったが、薬子の変に連座して皇太子位を廃された。親王は後に空海の弟子となり、真如法親王とも呼ばれる。本尊は当初は阿弥陀如来であったが、後に不動明王に変わった。縁起によれば永保2年(1081年)、白河天皇が比叡山無動寺から相応和尚作という不動明王像を勧請し再興。久安2年(1146年)美福門院により再々興されたという。

多禰寺

多禰寺は京都府舞鶴市にある真言宗東寺派の寺院。山号は医王山、本尊は薬師如来。大浦半島の多禰山の中腹、海抜300mに位置する。(Wikipedia) 草創の正確な事情は不明である。享保2年(1717年)の『多禰寺縁起』によれば、用明天皇2年(587年)、聖徳太子の弟、麻呂子親王(まろこしんのう)の開基と伝えられる。 縁起によれば、父・用明天皇の命を受けた麻呂子親王は、丹後の庶民を苦しめた鬼賊(与謝郡三上ヶ岳に住む英胡、軽足、土熊)を「七仏薬師の法」の力で平らげ、その加護に報いるため、丹後の国に七箇所の寺を建て、七仏薬師像を安置したという。その中で、親王の護持仏であった第七薬師瑠璃光如来を本尊としたのが当寺で、医王山多禰寺と名付けられたという。 平安時代に入ると七堂伽藍は威風を轟かし、近郷の菩提寺として栄えたが、鎌倉時代・室町時代の打ち続く戦乱に崩壊し、昔の壮観は影を潜めた。 現在は真言宗東寺派に属し、西国薬師四十九霊場30番札所として、風光明媚な自然の山懐にたたずんでいる。 また、平安時代・鎌倉時代・室町時代などの中央作の貴重な文化財を、当初の像容で遺存されている。 室町時代以降、由緒ある寺として丹後の有力者の庇護を受け、多くの安堵状・寄進状が残されている。