松花堂庭園

松花堂(しょうかどう)は、江戸時代初期の僧侶(石清水八幡宮の社僧)で文化人であった松花堂昭乗がその晩年の寛永14年(1637年)に構えた草庵の名称である。 現在の京都府八幡市、石清水八幡宮のある男山の東麓に泉坊という宿坊があり、その中にこの草庵があった。 男山には石清水八幡宮に所属する宿坊が多数建っており「男山四十八坊」とも呼ばれたが、明治初年の神仏分離で宿坊はすべて撤去され、松花堂も旧所在地の南方に移築。 現在は「松花堂庭園・美術館」という文化施設となっており、財団法人やわた市民文化事業団が管理運営している。 現・松花堂は、移転前の旧地とともに「松花堂及びその跡」の名称で国の史跡に、「松花堂及び書院庭園」の名称で国の名勝に指定されている。

八角堂

八角堂は、市内最大の前方後円墳である西軍塚古墳の円頂部に建つ、八角形をした珍しい建物です。 現在は正法寺の境外堂宇のひとつであり、本尊阿弥陀如来が安置されています。 建保年間(1213年~1219年)順徳天皇の御願により、石清水八幡宮の社家善法寺祐清が石清水八幡宮の境内に建立したもので、のちに大破して慶長12年(1607年)豊臣秀頼によって再建されました。 明治維新の神仏分離に伴い現在地に移されました。八角円堂ではありますが、正方形の四隅を切りとった八角形です。 720,,京都府八幡市八幡大芝

単伝庵(らくがき寺)

お堂の壁に願い事を書くと叶えられるということから「らくがき寺」とも言われています。 今から200年前、京都妙心寺の単伝和尚が人々の不慮の災難を救うことを発願して、けが除け・厄除の救昔観音を安置し祈祷修繕されたのが単伝寺再興の由来です。 現在、2月節分・5月3日・8月3日・11月3日と年四回箸供養を厳修し、けが除け祈祷箸を授与し、精進料理の接待をしています。 仏教では、世の中のすべては、地・水火・風・空の5つの元素(玉大)の組み合わせによりできているとされています。この玉大を型取った台座(方・円・三角・半月・台形の5つを組み合わせた台座)の上の安置されているのが五大釈迦で、5大の過不足を調整し、全てのものごとを円満に成就し身心の健祥と財福を守護して頂きます。 8月・12月を除く年10回、この五大釈迦にみまもられて坐禅会を行っています。 ◆走り大黒天 南北朝時代、石清水八幡宮の改築に際して、楠正成が武運長久を祈願して寄進した楠木の残り株から刻まれたこの走り大黒天は、にこ やかに微笑みながら蓮華の実の上で袋を担ぎ、走っておられます。参詣する人には開運の本命神、そしてまた、福徳円満を自在に授け る神として信仰されています。

神應寺

石清水八幡宮のある男山の北側山腹に位置する禅宗寺院 開山と伝える行教の像は重要文化財。江戸時代の豪商、五代目淀屋辰五郎の墓があり、秋には見事な紅葉を鑑賞できます。

正法寺

後奈良天皇の祈願所 徳川家康の側室で尾張藩祖・義直の母である、お亀の方・相応院の菩提寺。 本堂・唐門や書画など数多くの重要文化財を誇ります。 法雲殿の阿弥陀如来坐像(鎌倉時代)はもと石清水八角堂にありました。