名称 | 大通寺 |
住所 | 601-8437 京都府京都市南区西九条比永城町1 |
拝観時間 | |
拝観料金 | |
URL |
清和天皇の第6皇子貞純親王の御子、六孫王経基(ろくそんのうつねもと)の子満仲(みつなか)が父の墓所に一宇を建立したのが大通寺の起こりといわれる。
その後、260余年を経た貞応(じょうおう)元年(1222)に、源実朝(さねとも)の妻、本覚尼が亡夫の菩提を弔っていたが、真空回心上人を請じて梵刹(ぼんさつ)を興し、萬祥山遍照心院大通寺と名付けた。
実朝の母、北条政子も大いにこの寺を援助したという。
後、十六夜(いざよい)日記の著者阿佛尼も入寺し、亡夫藤原為家を供養したという。
足利尊氏・義満を初め織田・豊臣氏の崇敬もあつく、徳川氏代々も大いに興隆につとめ、元禄年間には今の六孫王神社が造営され、塔頭も多数建立された。
東は大宮、西は朱雀を限りとし、南は八条、北は塩小路を境とする広大な境内であったが、江戸幕府の滅亡により衰微し、廃仏毀釈にあった。
明治44年(1911)には旧国鉄の用地となり、六孫王神社だけを残して現地に移転し逼塞(ひっそく)した。
創建当時から伝わる善女龍王画像、醍醐雑事記は重要文化財に指定されている。
実朝木座像、本覚寺置文2巻、阿佛尼真蹟、阿佛塚など国文学上重要人物を偲ぶにふさわしいものが多く、尊氏・義満の文書も多数蔵されている。
京都府京都市南区西九条比永城町1