名称 | 赤山禅院 |
住所 | 606-8036 京都府京都市左京区修学院開根坊町18 |
拝観時間 | 9:00~16:30 |
拝観料金 | 無料 |
URL | http://www.sekizanzenin.com/ |
仁和4年(888)天台座主安慧(ざすあんね)が、師の慈覚大師円仁(えんにん)の遺命によって創建した天台宗の寺院である。本尊の赤山明神は、慈覚大師が中国の赤山(せきざん)にある泰山府君(たいざんふくん)(陰明道祖神(おんみょうどうそじん))を勧請したもので、天台の守護神である。
後水尾上皇の修学院離宮御幸の時には、上皇より社殿の修築及び、赤山大明神の勅額を賜った。
御神体は、毘沙門天に似た武将を象る神像で、延命富貴の神とされている。
この地は、京都の東北表鬼門(おもてきもん)にあたることから、当院は、方除けの神として人々の崇敬を集めている。
また、赤山明神の祭日にあたる5日に当院に参詣して懸(かけ)取りに回ると、よく集金ができるといわれ、商人たちの信仰も厚く、俗に五日払い(いつかばらい)といわれる商慣習ができたと伝えられている。
閑静なこの地には、松、楓が多く、秋には紅葉の名所として多くの人々で賑う。
◆由緒
慈覚大師ご遺命による創建
天台宗総本山・比叡山延暦寺・赤山禅院は京都の表鬼門に位し、赤山大明神(陰陽道の祖神・泰山府君)を皇城の鎮守として祭祀されています。
第三世天台座主・慈覚大師円仁様が若き日、遣唐使船で中国に渡り「天台教学」を修められ日本への帰路「航路平穏」を守護して下さった出港地の山神、赤山大明神様に感謝し、その勧請をご遺命なさいました。
赤山大明神様が、お大師様の、荒海の日唐渡海・船旅平安をお守りになったからです。
一、都の表鬼門を守護する方除けのお寺。
二、日本最古「都七福神」のお寺。
三、比叡山延暦寺・天台随一の荒行・千日回峰行・赤山苦行(八百日目)のお寺。
四、仲秋名月(旧暦)、阿闍梨様加持御祈祷「ぜんそく封じ・へちま加持」のお寺。
五、紅葉まつり「珠数供養」のお寺。
◆【夢見の宝船】
宝船を描いたものとしては、七福神舟遊びの図がよく知られている。正月二日や節分の夜に、宝船の絵を枕の下に敷いて眠ると吉夢を見て、七福神の福徳を授かると言われてきた。この習俗は「初夢」を吉善ならしめようとする信仰であり「夢占い」なのである。
一、「夢占い」の願主の欄にお名前を、願文には「心願」をしたためる。
二、そして枕の下に敷き、左記のご墓言を七度唱えてご就寝ください。
◆ご真言
おん。だきしゃたら。にりそだにえい。そわか。
三、心願成就ご祈念のあと、ご使用の夢見の宝船は赤山禅院へご返送下されば、阿闍梨様御護摩供の折に、お焚き上げ(炎によるお浄め)を致します。
◆江戸の正月風景「宝船売り」
縁起物の一つ。江戸時代、正月元旦、あるいは二日の夜、米俵を乗せた船の絵に、「回文」の歌を版画に記したものを、枕の下に敷いて寝ると、良い初夢を見ると信じられ、「おたから、おたから」と呼びながら、その版画を売り歩く「宝船売り」は、江戸の正月風物の一つでありました。
宮中では、米俵と宝物とを乗せた船の帆に「摸」(ばく)の字を描いた絵を、宮家や堂上家に賜るのが例で、「猿」は「貘」とも書き、悪い夢を喰うと、日本で昔から言われてきた想像上の動物であります。
◆都七福神
天海大僧正、七つの福徳を
家康公の器量になぞらえられ
徳川家康公の崇敬を一身に受けていた、比叡山の名僧・慈眼大師天海様は、しばしば国政の機務に参与し、家康公の人柄をよく知りぬいていた。そこで天海様は、乱世を治める器量を備えた家康公を、七福神の七つの福徳になぞらえて示されました。
一、長寿→寿老人 五、愛敬→弁財天
二、富財→大黒天 六、威光→毘沙門天
三、人望→福禄寿 七、大量→布袋尊
四、正直→恵比寿(以上、七福神)
これを聞き知った家康公は大いに喜び、絵師・狩野法眼に命じて、七福神遊行図を描かしめたと伝えられています。
境内に彩りを添える、手描きの、愛らしい「お姿みくじ」が、ご参詣の方々に喜ばれておりますが、「福禄寿神」をイメージしたもので、胎内に、おみくじが収めてあります。また相生明神様の「おしどり絵馬」赤山大明神様を梵字で表した絵馬にあらず「字馬」もお珍しいものだそうで、収集家からの問い合わせもございます。
「おしどり絵馬」を奉納して良縁の願いを、祈念しましょう。
◆慈覚大師様と大文字送り火
京都の夏の風物詩、観光名物「大文字送り火」は、平安時代は「秋の宗教行事」でした。
偉大な足跡を残された慈覚大師様のご遺徳を偲んで、お大師様の「大」をお山に刻して点火。帝、百官を始め都人が合掌して伏拝するうちに、やがて次第に火勢が細まり、横の月待山から大きな満月(旧暦八月十六日)が現われ、あたかも「お大師様」の御霊がそれに乗り憑って中空に昇天なさる・・・それはまさに、平安の大宮人達の壮大なロマンだったのであります。
古来より「紅葉寺」として世人に親しまれて参りました赤山禅院では十一月中紅葉まつりの出店や露店が賑わいを添えております。
尚11月23日に催される「珠数供養」では、古いお珠数ご持参の方々ご自身の手による「お珠数のお焚上げ」をして頂いております。
紅に映える紅葉の境内は、「寛老池」がひときわ美しく、平安の音、時の南淵大納言・小野年名卿が、当代の「老七賢」たちを小野山荘(赤山禅院)に招き、池に舟を浮かべて詩歌管弦の宴・尚歯会を催したとある。尚歯会(しょうしえ)は、即ち我が国「敬老会」発祥の由縁なのでございます。
五日・いつか(何日)
の・申(猿)の日に
一年の中でも滅多にない「申の日」の五日に「赤山さん」に詣でると、吉運に恵まれると言われだし、江戸時代、「赤山さんは掛け寄せ(集金)の神さんや」
との噂がたつようになりました。五日講ご縁日に、商売繁盛を願うお詣りが多かった由縁でございます。
この五日講ご縁日詣でが「五十払い(ごとばらい)」風習の源になり商売繁盛を願って早朝、集金前にお詣りなさる方々のお姿をお見かけします。