名称 | 敷地神社(わら天神) |
住所 | 603-8375 京都府京都市北区衣笠天神森町78 |
拝観時間 | 8:30~17:00 |
拝観料金 | 無料 |
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祭神のコノハナサクヤヒメは北山天神丘に古代から祭られていたが、1397年(応永4)足利義満が金閣寺造営のさい鎮守神として現在地に遷座した。
昔から安産の神として‘はら帯天神’、‘わら天神’と称えられた。
摂社の六勝神社は開運、学問の神としても知られる。
◆由緒
敷地神社(わら天神宮)の起源は、太古山背国葛野郡衣笠村に降臨された北山の神です。
六国史を菅原道真が分類編纂した「類聚国史(るいじゅうこくし)」によれば、天長5年(828)に都に大雨、地震があったおり、時の淳和(じゅんな)天皇が勅使を遣わして北山の神に幣(みてぐら)を奉ったと見られることから、その創建は平安建都以前と推測されます。
この地に氷室が設けられることとなり、その夫役として加賀国の人々が移住してきました。彼らは菅生石部神社(現 石川県加賀市)の崇敬者であり、移住にあたりその分霊を勧請し、御祭神を菅生石部神の御母木花開耶姫命と定め、北山の神の西隣に祀りました。
応永4年(1397)、足利三代将軍義満による北山第(後の鹿苑寺(金閣寺))の造営にあたり参拝に不便になったことから、両社を合祀して現在地に遷座、社号を菅生石部神の通称である敷地神社とし、爾来600年になります。当社は単に「天神宮」とも称していました。また、古来より稲わらで編んだ籠でもって神饌を捧げており、やがて抜け落ちたわらを、安産を願う妊婦さんが持ち帰るようになりました。後にそのわらを切り取り、安産のお守りとして妊婦さんに授与するようになったのです。そのわらのお守りの珍しさから「わら天神宮」という名称が広まり定着しました。
京都府京都市北区衣笠天神森町78