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佐助稲荷神社

名称 佐助稲荷神社
住所 神奈川県鎌倉市佐助2丁目22-10
拝観時間
拝観料金
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当社は源頼朝公の再建せし古社にして御祭神は宇加御魂命(うかのみたまのみこと)・大己貴命(おおなむちのみこと)・佐田彦命(さるたひこのみこと)・大宮女命(おおみやのひめのみこと)・事代主命(ことしろぬしのみこと)。

往古頼朝公伊豆蛭ヶ小島の配所にて、平家討伐を日夜念じをりし折、稲荷の大神気高き老翁の姿にて夢に現れ給い、挙兵をうながし、その時期を啓示し給えり。

頼朝公天下一統の礎を固めし後、稲荷神霊の加護に感謝し畠山重忠に命じ、佐介山隠れ里の霊地を選び社殿を造建せしむ。人々の信仰きわめてあつく、出世稲荷としてその御神徳は広く関東一円に拡がりたり。

さらに寛元の頃(13世紀中)鎌倉に疫病流行せし時、佐介稲荷の大神再び奇瑞を現し給い、霊種をして薬草を生ぜしめ病苦の者、ことごとく癒し給いぬ。

以来、神威更にかがやき、商売繁盛、病気平癒、大漁満船、学業成就の霊験顕然たり。

◆縁結び十一面観世音菩薩
徳川時代、足柄郡の尼寺から縁あって当地に安置された木造十一面観音は、良縁うすく、諦めて仏門に入られた美しい姫君、赤松幸運がこの世の若い男女に良縁あらんことをと祈りつつ彫られたと伝えられています。

※ 5月18日に開帳されます。

◆源十郎弥十郎事(佐助稲荷霊験譚)
昔、源十郎ト云魚商人アリ、魚ヲ荷テ由比浜ヲ通リケルニ、犬有テ狐ヲ遂テ走来ル、狐遁難ケレハ、源十郎カ荷ヘル籠ノ中ヘ飛入、源十郎是ヲ見テ憐ト思イ 犬ヲ制シテ狐ヲ助ケタリ、其夜ノ夢ニ狐来テ告テ曰ク、御情ニ依テ我今日ノ難ヲ免レタリ、其御恩ヲ報セン為ニ来レリ、源十郎殿曰来ノ所作ヲ止テ、左介谷ニ於テ蘿蔔(らふく)ヲ作リ給ハ、大ナル幸アラント云ト見テ覚ヌ、源十郎意得スナカラ狐ノ教ニ随テ、左介谷ニテ地ヲカリテ蘿蔔ヲ作ル、其年ノ冬、鎌倉中ニ疫癘(えきれい)起リテ死スル者十カ八九、貴賤此事ヲ嘆キアヘリケルニ、或人ノ夢ニ神来テ告テ曰ク、左介谷ノ源十郎カ作レル蘿蔔ヲ買テ食シタラハ、病立トコロニ差へシト示シ給フ、此夢ノ告ヲ鎌倉中へ披露シケレハ、我劣ラシト彼蘿蔔ヲ買得テ食スル程ノ者、其病、差スト云事ナシ、カカリケレハ其蘿蔔モ減シ行ニ随テ、価モ次第ニ高値ニ成テ、源十郎忽ニ富人トナル、是狐ノ教ニ依テナリトテ、先稲荷明神ノ社ヲタツ、即今ノ神社是也、蘿?・蘿蔔(らふく)とは大根、(すずしろ)のこと
「金兼藁」万治二年(1659年)収録

◆佐助稲荷神社
祭神は宇迦御魂命(うかのみたまのみこと)・大己貴命(おおなむちのみこと)・佐田彦命(さるたひこのみこと)・大宮女命(おおみやのひめのみこと)・事代主命(ことしろぬしのみこと)で2月の初午に例祭が行われます。社伝によると源頼朝が建久年間畠山重忠に命じて再建させたといわれ、その時、台と山崎の地を社領として寄進したと伝えられます。

◆霊狐泉(れいこせん)
佐助の稲荷山は往古より麓の田畑を潤す水源の地なり。生命の基のこの湧水を人々霊孤の神水と称え家々の神棚に供えて稲荷のご神徳を戴くなり。今に至るも絶えず湧き出づる霊孤の泉なり。

神奈川県鎌倉市佐助2丁目22-10

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