名称 | 大報恩寺 |
住所 | 602-8319 京都府京都市上京区七本松通今出川上ル溝前町1034 |
拝観時間 | 9:00~17:00 |
拝観料金 | 一般 団体割引 大人 500円 450円 大学生 400円 350円 高校生 400円 350円 中学生 300円 250円 小人 300円 250円 20人以上団体割引 |
URL | http://www.daihoonji.com/ |
瑞応(ずいおう)山と号する真言宗智山派の寺院で、千本釈迦堂の名で知られている。
承久3年(1221)義空(ぎくう)上人が、藤原光隆(みつたか)の臣、岸高より寄進を受けたこの地に、小堂を建て一仏十弟子像を安置したのが当寺の起りといわれている。
当初、倶舎、天台、真言の三宗の霊場として、堂塔迦藍も整い、壮麗を極めたが、応仁の乱をはじめ、度々の災火のため堂宇を消失してしまった。
現在唯一残る本堂(釈迦堂)は、本市に現存する最古の仏堂遺構で、国宝に指定されている。
堂内には、行快作の本尊釈迦如来坐像及び、快慶作の木造十大弟子立像をはじめ、銅像誕生釈迦仏立像、六観音菩薩像、千手観音立像などを安置している。
また、毎年、2月にはお亀福節分会、5月には花供養、7月には陶器供養、8月には精霊迎え、12月には大根焚きなど多彩な行事が営まれ、多くの人々で賑わう。
◆由緒
瑞応(ずいおう)山と号する真言宗智山派の寺院で、千本釈迦堂の名で知られている。
承久3年(1221)義空(ぎくう)上人が、藤原光隆(みつたか)の臣、岸高より寄進を受けたこの地に、小堂を建て一仏十弟子像を安置したのが当寺の起りといわれている。当初、倶舎、天台、真言の三宗の霊場として、堂塔迦藍も整い、壮麗を極めたが、応仁の乱をはじめ、度々の災火のため堂宇を消失してしまった。
現在唯一残る本堂(釈迦堂)は、本市に現存する最古の仏堂遺構で、国宝に指定されている。堂内には、行快作の本尊釈迦如来坐像及び、快慶作の木造十大弟子立像をはじめ、銅像誕生釈迦仏立像、六観音菩薩像、千手観音立像などを安置している。
また、毎年、2月にはお亀福節分会、5月には花供養、7月には陶器供養、8月には精霊迎え、12月には大根焚きなど多彩な行事が営まれ、多くの人々で賑わう。
◆おかめ塚由来
鎌倉時代の初め西洞院一條上るの辺りで長井飛騨守髙次という洛中洛外に名の聞こえた棟梁とその妻阿亀が住んでいました。そのころ、義空上人(藤原秀衡の孫)が千本釈迦堂の本堂を建立することになり、髙次が総棟梁に選ばれ造営工事は着々と進んでいきましたが、髙次ほどの名人も”千慮の一失”というべきか信徒寄進の四天柱の一本をあやまって短く切り落としてしまったのです。心憂の毎日を過ごしている夫の姿を見た妻の阿亀は古い記録を思い出し、「いっそ斗供(説明文は「木+共」の字)をほどこせば」というひと言。この着想が結果として成功をおさめ見事な大堂の骨組みが出来上がったのです。
安貞元年12月26日、厳粛な上棟式が行われたが、此の日を待たづしておかめは自ら自刃して果てたのです。女の提言により棟梁としての大任を果たし得たという事が世間にもれきこえては・・・「この身はいっそ夫の名声に捧げましょう」と決意したのです。
髙次は上棟の日、亡き妻の面を御幣につけて飾り、冥福と大堂の無事完成を祈ったといわれ、また、この阿亀の話を伝え聞いた人々は貞淑で才智にたけた阿亀の最期に同情の涙を流して菩提を弔うため境内に宝筐院塔を建立し、だれ言うとなくこれを「おかめ塚」と呼ぶようになったのです。
現在、京都を中心として使用されているおかめの面の上棟御幣は阿亀の徳により、”家宅の火災除け”家内安全と繁栄を祈って始められたものです。また、おかめの徳は、”災いを転じて福となす”というところから、建築成就工事安全、女一代厄難消滅、商人の商売繁栄などの招福信仰として全国を風靡するところとなっています。
なお、昭和54年の春、有志により阿亀の大像が造立され福徳の像として祀られ”おかめ信仰”の輪が一層広がっております。