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吉田神社

名称 吉田神社
住所 606-8311 京都府京都市左京区吉田神楽岡町30
拝観時間
拝観料金
URL http://www.yoshidajinja.com/

祭神として健御賀豆知命(たけみかづちのみこと)・伊波比主命(いはいぬしのみこと)・天之子八根命(あめのこやねのみこと)・比売神(ひめがみ)の四神を祀る。
貞観(じょうがん)元年(859)藤原山蔭郷が平安京の鎮守神として藤原氏の氏神である奈良の春日社四神を勧請したのが当社のはじめである。以来上下の信仰厚く、式外社ではあるが二十二社に加えられ、延文元年(1356)正一位の神階を授けられた。
ついで室町時代の中頃神官吉田(卜部(うらべ))兼倶(かねとも)が吉田神道(唯一神道)を大成し、東南山上に斎場所太元宮(さいじょうしょだいげんぐう)を造営してから、吉田流神道の総家として明治に至るまで神道界に大きな権威をもっていた。
本殿は慶安年間(1648~1651)の建築で朱塗春日造りである。
このほか四脚中門・御廟・神供所などがある。
境内には太元宮のほか、末社、摂社が多く、中でも神楽岡(かぐらおか)社は「延喜式」にも記載された地主神として、また雷除神として有名である。
神竜(かむたつ)社には吉田兼倶を祀っている。
祭礼のうち節分祭(毎年節分の当日を中心に前後三日間にわたって本宮及び太元宮で行われる)は疫神祭(えきじんさい)・追儺(ついな)式・火炉(かろ)祭の三部に分れ、室町時代以来の伝統をほこる神事で多数の参詣者で賑う。

◆斎場所大元宮
天神地八百万神をまつる大元宮を中心とし、周囲に伊勢二宮をはじめ、全国の延喜式内社3132座を奉祀する。

もと、神職卜部(吉田)家邸内にあったのを文明16年(1484)吉田兼倶がここに移建したもので、吉田神道の根本殿堂をなすものである。天正18年(1590)神祇官八神殿も社内後方に移され、江戸時代より明治4年(1871)に至るまで朝廷の奉幣使派遣のとき神祇官代としてその儀式を執行した。

本殿(重要文化財)は慶長6年(1601)の建築で、平面八角に六角の後方を付し、屋根は入母屋造・茅葺、棟には千木をあげ、中央に露盤宝珠を置き、前後には勝男木をおく特殊な構造をもっている。この形式は神仏習合(神道と仏教の折衷調和)、陰陽五行(万物は陰と陽の二気によって生じ、火木は陽、金水は陰、土はその中間にあるとし、これらの消長により大地異変・災事・人事の吉凶を説明)などの諸説を総合しようとした吉田神道の理想を形に現したものといわれる。

当社に参詣すると全国の神社に詣でたものと同じ効験があるとして、毎年節分の日を中心に前後三日間行なわれる節分祭には多数の参詣者で賑わう。

京都府京都市左京区吉田神楽岡町30

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