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圓徳院

名称 圓徳院
住所 605-0825 京都府京都市東山区下河原通八坂鳥居前下る下河原町530
拝観時間
拝観料金 大人  500円 大学生 500円 高校生 200円 中学生 200円 小人は保護者同伴のみ拝観可で無料。
URL http://www.kodaiji.com/entoku-in/idx.shtml

高台寺の塔頭寺院。
開基は、北政所の甥木下利房。方丈の襖絵は長谷川等柏の筆(重文)。
現在は復元画を展示。北庭の枯山水は桃山時代の風香を伝え国名勝指定を受けている。臨済宗。
建立:1605(慶長10)年建立、寛永9年頃寺院となる
伏見城の化粧殿及び前庭(北庭)を移築し、北政所がその晩年を過ごした。
化粧御殿は焼失したが、前庭は北庭として残っている。

◆由来
豊臣秀吉の没後、その妻北政所ねねは「高台院」の号を勅賜されたのを機縁に、高台寺建立を発願し、慶長10(1605)年、秀吉との思い出深い伏見城の化粧御殿とその前庭を山内に移築して移り住んだ。爾来北政所を慕い大名、禅僧、茶人、歌人、画家、陶芸家等多くの文化人が訪れたと伝えられている。ねね、58歳のことである。これが今日の圓徳院の起こりであり、ねねは77歳で没するまでの19年間をこの地で余生を送り、この地は北政所の終罵の地となった。
そのねねを支えていたのが兄の木下家定とその次男の利房である。圓徳院は利房の手により高台寺の三江和尚を開基に、木下家の菩提寺として開かれ、高台寺の塔頭とされた。寛永9年、ねねの没後9年目のことである。

◆三面大黒尊天の由来
東山圓徳院の三面大黒天は、福徳信仰の象徴として豊臣秀吉が念持仏としたといわれる珍しい尊像であります。
三面大黒天とは、大黒天、毘沙門天、弁財天の三天合体の霊像であります。
大黒天は、いうまでもなく福の神であり、毘沙門天は、勝利あるいは子宝の神であり、弁財天は、音楽・知恵・情操等をつかさどる学問、芸術の神であります。
この開運三面大黒天を信仰されることによって皆様方の家運益々の隆昌と、ご家族の無事息災を得られることをお祈り致します。

◆桧垣の手水鉢
宝塔の笠を利用し、笠石を横にして、その商を凹字形に切り取り手水鉢としたものである。笠石は室町時代の作と考えられている。

◆正門
当院は木下家初代以降歴代藩主の墓が置かれ、木下家の屋敷となっていた。そのため正門は長屋門の形態がとられている。

◆北庭
もともと伏見城北政所化粧御殿の前庭を移したもので、当時の原型をほぼそのままに留める桃山時代の代表的園のひとつである。賢庭作で後に小堀遠州が手を加え池泉回遊式だが枯山水となっている。
原点となるのは東北部で、枯滝石組を構成し、築山を中心にして左右に多数の石組を二等辺三角形にまとめて数群展開させ、あるいは蓬莱石組を作る。(池泉にかかる数個の橋は見事巨石をあてているが、その厚さからくる迫力はこの庭の特筆すべき点でもあろう)このように多数の巨岩大岩ふんだんに置かれている庭は珍しく、これが桃山時代の豪華さ、豪胆さである。

◆方丈
平成6年後藤佐雅夫師指導のもと山本長宏氏が方丈の解体修理を行った。
路地及び周辺庭園は北山安夫氏が整備をした。

◆書翰・襖絵
桃山時代の気風そのままに、美しい辻が花染のきれで表装された、戦国武将の書翰や絢湖豪華な襖絵を所蔵している。

京都府京都市東山区下河原町530

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