名称 | 大将軍神社 |
住所 | 605-0019 京都府京都市東山区三条大橋東三丁目下る長光町640 |
拝観時間 | |
拝観料金 | |
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素戔嗚尊を主祭神とし、藤原兼家を配祀する。
794年(延暦13)平安京造営の際、桓武天皇が大内裏鎮護のために都の四方に祭祀した大将軍神社の東南方角の一つ。
特にこの地は京に入る七口の一つ、三条口の要地に当るため、邪霊の侵入を防ぐ意を以って重要視されてきた。
藤原兼家の東三条殿はこの周辺にあったが応仁の乱で荒廃、現在では当社境内に東三条社として名跡を留めている。
◆由緒
素盞嗚尊(すさのおのみこと)を祭神とし、相殿には関白藤原兼家(かねいえ)公を祀る。
桓武天皇は、平安京造営にさいし、大内裏(だいだいり)鎮護のため四方四隅に神を祀り、四方に和魂を祀って天王ととなえ、四隅に荒魂として素盞嗚尊を祀って大将軍と称したと伝えられ、当社は東南隅の大将軍社の由緒を伝えている。
ただし、社殿はたびたびの戦火によって廃絶し、文政12年(1829)朝議大夫(ちょうぎたいふ)陸奥守千葉正胤(ちばまさたね)がここに再興した。
大将軍神社の由緒に加えて、この地は平安京三条口の交通の要地にあたり、悪神の侵入をふさぐため荒魂を奉祀することは中世以来の長い伝統をもっていたと考えられる。
境内の東三條社は東三條殿(ひがしさんじょうでん)の故地で平安中期、藤原兼家・道長らの邸宅として景勝の美をうたわれた屋敷のことである。
その故地は現在の釜座(かまんざ)三条あたりと推定されるが、この附近一帯の地名によって当社にその名跡をとどめているのである。
京都府京都市東山区長光町640