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妙蓮寺

名称 妙蓮寺
住所 602-8418 京都府京都市上京区寺之内通大宮東入妙蓮寺前町875
拝観時間 10:00~16:00
拝観料金     一般 団体割引(10人以上) 大人  500円 450円 中学生  以下 300円 250円 但し、特別拝観(宝蔵庫)の場合300円増額となります。 特別拝観はあらかじめ電話確認してください。
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本門法華宗の大本山で、卯木山と号し、日像上人(にちぞうしょうにん)を開基とする。
永仁3年(1295)に、柳屋仲興道妙蓮が日像上人に帰依して、西洞院五条の邸を寺に改め、柳寺と称したのが当寺のはじめで、永享(えいきょう)年間(1429~1440)に、日存、日動、日隆、日慶らが、大宮通四条下るに伽藍を移築造営し、妙蓮寺と改めた。
その後、たびたび寺地をかえ、天正15年(1587)豊臣秀吉の聚楽第(じゅらくだい)造営のとき、いまの地に移った。
現在の建物は、天明の大火(1787)後の再建である。
玄関、奥書院の襖絵は、長谷川等伯(とうはく)一派の筆といわれる濃彩の金碧(こんぺき)画で、庭内の奇石とともに秀吉が寄進したものと伝える。
なお、寺宝には、本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)の筆になる立正安国論(りっしょうあんこくろん)(重要文化財)などがある。

◆由緒
大本山妙連寺は、宗祖日蓮大聖人より帝都弘通宗義天奏の遺命を受けた日像聖人によって、永仁2年(1294)に創建され㍍日像聖人が遺命を果たすため鎌倉より京都へ上られた時、五条西洞院の柳酒屋は深く聖人に帰依し、未亡人は邸内に一字を建立して聖人を請じ、卯木山妙法蓬華寺と称した。これが妙蓮寺の縁起である。(柳の文字を二つに分けて卯木山という。)

その後、たびたびの法難にあい衰退していたが、応永年間(1420年頃)本迹勝劣、本迹一致の論争を契機に妙顕寺を退出した日慶聖人によって柳屋の地に本門八品門流として再興される。その後、寺域を堀川四条に移し、皇室ならびに伏見宮家と関係深い日応僧正を迎えるにおよび、皇族始め足利将軍義尚等の参詣多く、また今出川家の公達日忠聖人は、三井寺より改宗して当寺に投じて学室道輪寺を創立し、本化教学の道場を開く。ここにおいて当寺の法運は隆昌を極め、山門の様式も格式高いものとなった。

天文5年(1536)には、法華宗の隆昌を妬む比叡山天台宗を筆頭に諸宗の僧俗10万人によって襲撃され、妙蓮寺をはじめとする日蓮大聖人門下21本山は、ことごとく灰燵に帰し堺に立ち退いた。

天文11年(1542)大宮西北小路に復興され、天正15年(1587)には、豊臣秀吉の聚楽第造営に際して現在地に移転した。当時は、1k㎡の境内に塔頭27ヶ院を有する大寺院であったが、天明8年(1788)の大火によって、そのほとんどが焼失し、わずかに宝蔵・鐘楼を残すのみとなった。寛政元年より漸次復興して、現在に至り、塔頭8ヶ院を有す。

◆鐘楼
元和3年(1617)の建立全国的にも数少ない本格的な袴腰型鐘楼で、日本建築史上、江戸時代を代表する貴重な建造物である。

◆大本山 妙蓮寺 山門
文政元年(1818)に、禁裏より拝領し建立する。両袖番所付山門は、希にみる格調の高い雄姿を誇る。

◆妙蓮寺蔵松尾一切経
平成5年(1993)夏、妙蓮寺土蔵から松尾一切経が発見された。松尾一切経は、永久3年(1115)頃より、松尾神社の神主秦宿祢親任、その子秦宿祢頼親が願主となり、康治2年(1143)に完成された。安政4年(1857)に妙蓮寺の熱心な檀徒嶋田弥三郎義忠の寄進により妙蓮寺の寺宝となる。平成9年(1997)経櫃とともに三千余巻が重要文化財に指定された。

◆立正安国論(重文)
この立正安国論は、始聞仏乗義(重文)と共に、日源聖人65年(1619)に本阿弥光悦が書写したものである。日蓮大聖人の立正安国論の主旨は、幕府に法華経の精神求すると共に、国民に正しい教えによる世界平和実現の道を説くものとして名高い。

◆十六羅漢石庭
桂離宮の造園を指図した妙連寺の僧、玉淵坊日首の作であきな青石は、臥牛石といい、秀吉公によって伏見城より移された名石である。
この庭は、火災による損傷が激しかったが、近時に至って造園当時の姿に復元された。

◆妙蓮寺椿の図
海北友松筆

■妙蓮寺椿=室町時代、連歌師として有名な宗祇(1421~1502)が、妙蓮寺椿の一枚を写生し、その上に
“余の花はみな末寺なり妙蓮寺”
と賛した掛軸の写しが、妙蓮寺記なるものに載せられている。

宗祇の在京時代は、妙蓬寺が皇室と関係深い日応僧正を迎えて隆盛を極めた時代と一致し、即ち妙蓮寺椿の名称は、この時よりすでに存在し、500年以上の歴史をもつものである。

◆法華経(重文)
伏見天皇が、御父後深草天皇の崩御に際し、御父君の遺書(御消息171)の背面に法華経八巻を書写されたものである。
伏見天皇は、とくに和歌、書道に秀でられ、その書風は伏見院流として名高い。
これを納めてある箱は、中国伝来の沈金蒔絵の逸品で、重文である。

◆十六羅漢石庭
桂離宮の造庭した妙蓮寺の僧玉淵坊日首の作で、白河砂に十六の石を配置し、北山杉を植え込んだ庭園である。
近年になって修復されているが、中央の大きな青石は、豊臣秀吉より賜わったものと伝え、牛が伏せている姿に似ているため、臥牛石といい、「宝命牛玉」という版木が残っていることから、祝儀の時に愛でられたものであろう。
白砂は、宇宙を表し、十六の石は、苦悩する大衆の中から立ち上がって世界を救済すると妙法蓮華経に予言された地涌の菩薩(大地から涌現する菩薩)を表現している。
宇宙大法真理(仏)と個人の小宇宙(仏性)と交響することを感応道交というが、白砂の波は、その交響する波動を表現している。
しかし、仏教庭園は、庭園そのものが宗教であり、観る側に自由な感応を呼びさますものであるので、説明にとらわれる必要はない。

京都府京都市上京区妙蓮寺前町875

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