名称 | 安倍文殊院 |
住所 | 633-0054 奈良県桜井市阿部645 |
拝観時間 | |
拝観料金 | |
URL | http://www3.pref.nara.jp/kankou/1154.htm |
当山は西暦645年(大化元年)に「安倍(あべ)一族」の本拠地の中心地であったここ阿部の地に、大化改新新政府の左大臣(現在の内閣総理大臣)となった安倍倉梯麻呂(あべのくらはしまろ)公が安倍一族の氏寺(いわゆる現在の私立)「安倍寺」を建立したのが始まりです。
七世紀頃における安倍一族は、その中頃に倉梯麻呂公が左大臣となられ一族の勢力は最高潮を迎えた。かくしてその一族の力を誇示する意味も含めて、安倍寺は現在当山のある南西三百mの地に法隆寺式七堂伽藍配置の大寺院として五重塔を聳えさせ威風堂々の姿で建立されたのである。(古文書・・東大寺要録末寺の章に記述有り)(現在「安倍寺」跡は国指定の史跡公園として保存されている)
安倍寺の地においては奈良時代に「天の原ふりさけ見れば春日なる…」の万葉歌で有名な「阿倍仲麻呂公」や平安時代には大陰陽師として有名な「安倍清明公」がご出生されるなど、当地出身者には歴史上有名な人物の枚挙にいとまがない。
創建当時の安倍寺は国家鎮護並びに安倍一族繁栄の祈祷が主であったが、平安時代に当山で安倍清明公がご出生され、没後に「魔除け災難除けの神」として祀られるようになると一般庶民を含めた祈祷の寺の色彩を強めていった。
平安時代中期頃の安倍寺の勢力を窺う資料としては「大鏡(下巻)」に「奈良十五大寺」の一つとして挙げられており、寺坊四十九坊の存在が記録として残されている。又平安時代の末には現在の当山の在る地に本山安倍寺の別所(現在の当山)が建立されるなど、寺運は益々隆昌であった。しかし当時隣接して勢力を誇った「多武峯妙楽寺」(現在の談山神社)衆徒(僧兵)の襲撃によって「安倍寺」は全山消失の憂き目に遭うのである。
かくして本山の安倍寺は再建される事無く別所寺院の現在地に統合された。鎌倉時代の初期に現地に移転後は、安倍清明公の本家寺と言う意味合いもあって「魔除け・災難除け祈祷の寺」としての色彩が益々強まり、清明公没後、彼は「文殊菩薩の化身」と言う信仰が世間に広まった事から、当山に当時でも最大級の文殊菩薩像が快慶仏師によって造られ、これ以降、文殊菩薩は当山本尊として全国的信仰を得ていくのである。
嘉吉元年(1441年)の古文書・興福寺官務牒疏には当時なお二十八坊の存在が記されており、寺運は依然として隆昌であった。しかし、永禄六年(1563年)二月、戦国大名・松永弾正の兵火に遭い一山ほとんど烏有に帰する災を受けた。この時本尊文殊菩薩の脇士四体の内一部が消失を余儀なくされたが、幸い文殊菩薩他三体の像は災を免れた。その後、寛文五年(1665年)四月に到って本堂(文殊堂)と礼堂(能楽舞台)が再建された。現在の本堂は即ちこれで、入母屋造り本瓦葺き七間四面の建物で前に礼堂を従えている。本堂の右には釈迦堂、左に大師堂、本坊、庫裡が並び庭園を隔てて方丈客殿に連なっている。
江戸中期中頃発刊された「和漢名数」の文書には「日本三文殊」の霊場寺院として当山が記載されており、当山本尊文殊菩薩の庶民信仰が、清明信仰と表裏一体の形で益々厚く全国的に広まっていった様子が窺える。
創建以来すでに一三六〇余年の星霜を経ているが、特に安倍清明公が当山にて出生されて以来の壱千年間は「あらゆる願いを叶えるご祈祷の寺」として常に一般道俗の信仰を集め今日に到っている。日本最大の文殊菩薩を本尊とする安倍文殊院こそ「安倍の文殊は智恵文殊」と歌われるように、我が国文殊信仰の霊域であり、仏徒の巡拝すべき道場である。
◆白山堂縁結
室町時代に当山の鎮守として造られたお堂で重要文化財です。このお堂は日本最古の縁結びの神様をおまつりしています。
当山の白山堂は加賀の国(石川県)の霊峰「白山」をご神体とする白山神社の末社です。
ご祭神は全ての祖神といわれる白山比咩大神(しらやまひめのおおかみ)と申し別名を菊理媛神(くくりひめのかみ)とも申されます。この菊理姫は日本神話において国造りをされた伊邪那岐尊と伊邪那美尊の縁を取り持たれた神様です。「菊理姫」(くくりひめ)の「くく」とは糸をくくり整えるように男女の縁を取り持つ縁結びの神様として古来より厚く信仰されています。
この為現代でも全国から恋愛成就・良縁成就を始め「人間関係における良い縁」を頂くために参拝される方が後を絶ちません。一方、この白山堂が室町時代に当山に建立された由来は、霊峰「白山」がわが国、修験陰陽道の大霊地として厚く信仰されてきたことにあります。当山は平安時代の大陰陽師・安倍清明公が出生された寺院で陰陽道発祥源流の寺です。この為、清明公と霊峰白山は古来より深く結びつき信仰されてきました。こうした訳で、霊峰白山の末社が当地に勧進され、爾来縁結びはもとより安倍清明公に因み、方位災難除けの守護を祈願する人も多く訪れます。
◆ぼけ酒について
「ぼけ酒」は当山が「陰陽師・安倍晴明公」出生の寺院であることから、2004年の「安倍晴明公 一千回忌」を記念して、参拝者に供する為に料理する「健康薬膳精進料理」に添える食前酒として、境内植え込み他特別栽培の「木瓜(ぼけ)の実」を採取し、特別に醸造した薬膳酒でございます。
尚、この「ぼけ酒」を醸造するにあたっては、奈良県工業技術センター並びに今西酒造株式会社に製品開発を依頼し、この度完成したものでございます。