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崇泰院

名称 崇泰院
住所 605-0062 京都府京都市東山区林下町401
拝観時間
拝観料金
URL http://www.soutai-in.org/

弘長2年(1262)に入滅した浄土真宗の宗祖親鸞聖人の遺骨は、鳥辺野北辺に葬られましたが門弟の協力のもと、親鸞聖人の末娘である覚信尼により吉水の北の辺に改葬し大谷廟堂を建立。

延慶2年(1309)青蓮院により覚恵の長男である覚如が継承することと裁定が下され、敗れた唯善は本堂を破壊し影像と遺骨を持って鎌倉へ逃亡しました。
その後、同年に高田の顕知上人により影像が刻まれ遺骨を安置、応長元年(1321)に奥州安積の法智上人により本堂が建立され復旧されました。

応永22年(1415)存如の長男・蓮如(幼名・布袋丸)誕生。

八世法主となった蓮如上人の精力的な布教活動により、本願寺(大谷本願寺)は急速に 勢力を拡大していくが、比叡山衆徒の反感が強くなり正月と三月の二度に渡り襲撃を受け破却(寛正の法難)。
この法難に遭うまでの約200年間「本願寺」はこの地にありました。

慶長8年(1603)に徳川家康は母(於大の方、傳通院殿)を弔いのために、浄土宗総本山知恩院の再興の大工事「知恩院慶長の恢弘」を行いました。
その時、家康の命を受けて知恩院再建普請奉行として従事していた竹村丹後守九兵衛道清により崇泰院は建立。

寺号は竹村道清のお戒名「崇泰院殿勝譽道清居士」より崇泰院となりました。

明治以降は無住となったこともあり本堂は修理できない程大破した状態となりましたが、本山より4名の再建公認役・津留眞孝、笹井教道、松村恩定、國子順戒が任命され復興し現在に至る。


京都府京都市東山区林下町401

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