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平等寺(因幡薬師)

名称 平等寺(因幡薬師)
住所 600-8415 京都府京都市下京区烏丸通松原上る因幡堂町728
拝観時間
拝観料金
URL http://inabado.jp/

この寺の起りは、「因幡堂縁起(いなばどうえんぎ)」(現東京国立博物館蔵)にくわしい。
すなわち、長徳3年(997)因幡国司橘行平が、任終って帰洛の途中、夢告によって因幡賀留津(いなばかるつ)の海中から一体の薬師如来像をひきあげ、仮堂に安置しておいたが、薬師は行平のあとを追って京都に飛来したといわれ、長保5年(1003)行平は自宅を改造してこれをまつったという。
この霊験談はひろく親しまれ、歴代天皇はじめ一般庶民の深い信仰をうけ、承安元年(1171)には高倉天皇により平等寺と命名された。
しかし堂舎はたびたび火災にかかり寺地も次第に小さくなったが、明治初年再建の現本堂には、たび重なる火災にもかかわらずよく伝えられてきた本尊薬師如来立像を安置している。
藤原時代、一木作りの優品で重要文化財に指定されている。
嵯峨釈迦堂の釈迦如来、信濃善光寺の阿弥陀如来とともに日本三如来の一つにかぞえられ、ことのほか信仰されている。

◆由緒
長徳3年(997)因幡(現在の鳥取県)国司橘行平が、任を終えて帰京の途中、夢のお告げに従って因幡賀留津(いなばがるつ)の海中から引き揚げ、安置しておいた薬師如来像が行平のあとを追って京都に飛来したといわれ、長保5年(1003)行平は自宅を改造してこれを祀ったと伝えられている。この霊験談は広く親しまれ、歴代天皇をはじめ一般庶民の深い信仰を受け、承安元年(1171)には高倉天皇により平等寺と命名された。

なお、この寺の起こりは、「因幡堂縁起」(東京国立博物館蔵)に詳しく書かれている。

堂舎は度々火災に遭い、寺域も次第に小さくなったが、明治初年(1868)に再建された現本堂には、度重なる火災にもかかわらず伝えられてきた本尊薬師如来立像が安置されている。この薬師如来立像は藤原時代の一木作りの優品で、重要文化財に指定されている。嵯峨釈迦堂の釈迦如来、信濃善光寺の阿弥陀如来とともに日本三如来の一つに数えられ、ことのほか信仰されている。

京都府京都市下京区因幡堂町728

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