名称 | 広隆寺 |
住所 | 616-8162 京都府京都市右京区太秦蜂岡町32 |
拝観時間 | 9:00~17:00 拝観終了:12月~2月末は16:30 |
拝観料金 | <霊宝殿の参拝料> 一般 団体割引 大人 700円 650円 大学生 700円 650円 高校生 500円 450円 中学生 400円 350円 小人 400円 350円 未就学児無料、30人以上団体割引、団体割引 |
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603年(推古天皇11年)秦河勝が聖徳太子から賜った仏像を本尊として建立した京都最古の寺。
その本尊が国宝指定第1号の弥勒菩薩像。
桂宮院(国宝)は法隆寺の夢殿に似た単層八角円堂。
10月の‘牛祭’は京都三大奇祭の一つ。真言宗。
建立:603年(飛鳥時代)
◆由緒
広隆寺は、推古天皇十一年(603)に建立された山城最古の寺院であり、四天王寺、法隆寺等と共に聖徳太子建立の日本七大寺の一つである。
この寺の名称は、古くは蜂岡寺と云い、また秦寺、秦公寺、葛野寺、太秦寺などと云われたが、今日では一般に広隆寺と呼ばれている。
広隆寺の成立に就いて、日本書紀に次のように載っている。
十一年十一月已亥朔。皇太子謂諸大夫曰。我有尊仏像。誰得是像以恭拝。時秦造河勝進曰。臣拝之。便受仏像。因以造蜂岡寺。
以上のように秦河勝が聖徳太子から仏像を賜わり、それを御本尊として建立した事がわかり、この御本尊が現存する弥勒菩薩であることも広隆寺資財交替実録帳を見ると明らかである。
さて、秦氏族が大勢で日本に帰化したのは書紀によると、第十五代応神天皇の十六年で、養蚕機織の業が主であったが、その外に大陸や半島の先進文明を我が国に輸入することにも努め農耕、醸酒等、当時の地方産業発達に貢献していた。
我が国に大陸文明を移し産業と文化の発達の源流、経済の中心ともなった太秦の、この広隆寺こそは、仏教を興隆して文化の向上を図り、民衆の和合を熱願された聖徳太子の理想の実現に尽力した秦氏の功業を伝える最も重要な遺蹟であり、信仰と芸術の美しい調和と民族の貴い融和協調とを如実に語る日本文化の一大宝庫である。
広隆寺は、弘仁九年(818)に火災に遭ったが、秦氏出身の道昌僧都によって再興、更に久安六年(1150)にも炎上し、永万元年に復興された。このように、度々の災禍にも拘わらず、多くの仏像がよく保存された事を思うと、これらの仏像がいかに強い信仰の対象となっていたかがうかがわれる。
◆講堂(重要文化財)
永万元年(1165)に再建された京洛最古の建物で、俗に赤堂と呼ばれている。中央に本尊阿弥陀如来坐像(国宝)を、向って右に地蔵菩薩坐像、左に虚空蔵菩薩坐像を安置してある。
◆太秦殿
太秦明神、漢織女(あやはとりめ)、呉秦女(くれはとりめ)を祀る。
◆上宮王院太子殿(本堂)
享保十五年(1730)に建立された桧皮葺入母屋造のこの堂は、本尊に聖徳太子像を安置している。この太子像には、太子の偉徳功業を景仰せられる歴代天皇が、即位大礼に御着用の黄櫨染桐竹鳳麟御袍御束帯を贈進される御例になっており、毎年十一月二十二日に開扉される。
◆桂宮院本堂(国宝)別名 八角円堂(四・五・十・十一月の日曜・祝日のみ公開)
聖徳太子が楓野別宮を起こされたところと伝えられ現在は広隆寺の奥の院と称される。現在の建物は建長三年(1251)に中観上人澄禅により再建された。
◆新霊宝殿
飛鳥時代の弥勒菩薩半跏思惟像(国宝)をはじめ、天平・弘仁・貞観・藤原・鎌倉と各時代の仏像を祀る。
◆地蔵堂
平安時代に我国繁栄の為に弘法大師が諸人安産、子孫繁栄の御誓願に基き御製作になった腹帯地蔵尊である。
◆薬師堂
阿弥陀三尊立像、薬師如来立像、不動明王 道昌僧都 弘法大師 理源大師を祀る。
◆弥勒菩薩半跏思惟像(国宝)
我が国で最も古く最も美しいこの弥勒像は、永遠の微笑で人々を苦しみから救ってくださる仏さまです。細い眼、はっきりした眉、それにつゞく通った鼻すじによって、まことにすっきりと整えられていて、唇の両端にやや力をこめているために多少微笑を含んでいるように感ずる。両手の表現は変化があり優雅な趣に溢れ、特に右腕の力ーブの線が美しく、そして、両足を被う裳が台座に垂れかゝる部分は皺を顕著に表わし、又、衣端に変化を与えている点は上方の簡素な表現と対照的で非常に美しいのである。
用材は赤松であり、製作は飛烏時代であるが、この時代の彫刻でこれ程人間的なものはないと同時に、人間の純化がこれ程神的なものに近附いていることも他に類をみない。