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新薬師寺

名称 新薬師寺
住所 630-8301 奈良県奈良市高畑町1352
拝観時間
拝観料金
URL http://www3.pref.nara.jp/kankou/1111.htm

新薬師寺は聖武天皇眼病平癒祈願の為、天平十九年(747)勅願により光明皇后によって建立され、新薬師寺の「新」は「あたらしい」ではなく「あらたかな」薬師寺という意味であります。

当時東大寺と共に南都十大寺の一つに数えられ、四町四方の境内に七堂伽藍甍をならべ住する僧一千人と記録にあります。

三十三年後の宝亀十一年西塔に落雷、瞬時にして炎上、現本堂のみが焼け残ったわけです。当寺所蔵の重宝は建築、彫刻、絵画、工芸など各部門にわたって居り、時代も奈良時代より江戸時代に及んでいます。

◆由緒
新薬師寺は、天平19年(747)、聖武天皇の病気平癒を祈願して、お后の光明皇后によって創建されました。
聖武天皇は、天平15年(743)、動物植物ことごとく栄える盧舎那大仏を造立することを発願され、近江国信楽宮で行基菩薩をはじめ多くの人々とともに大仏造立に着手されました。ところが、天平17年(745) に入り、山火事と地震が頻発したため、工事を中断して平城宮の真東の山麓(現在の東大寺)で再開されましたが、天皇ご自身は体調をくずされました。そこで天皇の病気を治すため、都とその近郊の名高い山、きよらかな場所で薬師悔過(やくしけか)が行われ、都と諸国に薬師如来七躯を造立し、薬師経七巻を写経することが命じられました。 
 悔過とは過ちを悔いるという意味で、薬師悔過は、病苦を救う薬師如来の功徳を讃嘆し罪過を懺悔して、天下泰平万民快楽を祈る法要です。これは悪い事が起こるのは、貪(欲張り)、瞋(怒り)、癡(愚かさ)の三毒によって生じる罪業が、穢れとなって人々の心に蓄積されるからで、身を清め薬師如来の御前で罪を懺悔することによって、心の穢れを取り除いて悪いものを祓い、福を招くことができるという考えです。
 平城京の東の春日山の香山堂でも、僧侶たちが精進潔斎してお籠りし、薬師悔過が勤修されたと考えられます。これをきっかけに、光明皇后によって春日山高円山の麓に新薬師寺(当初は香山薬師寺、香薬寺ともよばれた)が造営されました。天平勝寶3年(751)に、新薬師寺で聖武上皇のための続命法が行われ、天平勝寶4年(752)東大寺で大仏開眼供養法が営まれました。

新薬師寺の金堂には、七仏薬師(善名称吉祥王如来、宝月智厳光音自在王如来、金色宝光妙行成就如来、無憂最勝吉祥如来、法海雷音如来、法海勝慧遊戯神通如来、薬師瑠璃光如来)がまつられていました。金堂は平安時代応和2年(962)の大風により倒壊し現存しませんが、現在の本堂の西方約150メートルやや南寄りにあり、堂内に七仏薬師、脇侍の菩薩二軀ずつ、十二神将が並んだ東西に長いお堂(横幅約600メートル)だったことが、最近の発掘調査で確認されました。
その他に壇院、薬師悔過所、政所院、温室、造仏所、寺園、東西の塔が存在したことが史料からわかります。
鎌倉時代までに、東門、南門、地蔵堂、鐘楼などが建てられ、本堂を中心とした現在の伽藍が整備され、修理を繰り返し今に至っています。
現在でも、毎年1月8日と4月8日には薬師悔過が行われます。

◆本堂(国宝 奈良時代)
奈良時代の建物です。当初は本堂ではなく、修法を行うためのお堂だったと考えられます。本堂内には円形の土壇(高さ約90センチメートル、直径約9センチメートル)が築かれ、壇上に薬師如来坐像、十二神将立像が安置されています。柱は40本ありすべて円柱です。天井を張っていないので、内側から建物の骨組みをじかに見ることができます。

◆薬師如来坐像(国宝)
新薬師寺の本尊です。 堂中央の円壇に、木彫の大きな薬師如来坐像が安置されています。 頭と胴体など体幹部分は一本のカヤの木から彫り出され、手と足は同じカヤの木から寄せ木し、全体の木目を合わせ、一本の木から丸彫りした様に造られています。光背には宝相華樹が大きな葉を翻らせ花を咲かせながら上に伸び、鼻の上の六軀の小仏は本尊と併せて七仏薬師を示しています。薬師如来は東方浄瑠璃世界の仏さまです。菩薩として修業していたとき、体から光を出して世界を照らし出すこと、人々の不足を満たすこと、病気を癒すこと、正しい道に導くこと、災難を取り除くことなど、十二の願いことをたてました。右手は恐れを取り去る印相で、左手には薬壺を持っています。目は大きく開いています。穏やかで力強く、ふくよかな姿をされています。

◆十二神将立像(国宝)
薬師如来を信仰する人を守る、夜叉(やしゃ インド神話で森林に住む精霊)の大将です。塑像は木の骨組みに縄を巻き付け、そこに藁を混ぜた粘土をつけて大まかな形を作り、紙の繊維と雲母をまぜた土で上塗りしたもので、眼球は紺、緑、褐色のガラスの吹き玉で表現されています。表面は、青、朱、緑、紫に繧繝彩色(うんげんさいしき 同系統の色ごとに濃淡をつけて立体感を生み出す彩色法)され、現在でも部分的に色が残っています。土壇の上で円陣に取り巻いてお薬師さまを護衛しています。

◆地蔵堂(重要文化財)
本堂の前方むかって左側の、鎌倉時代の建物です。現在は十一面観音菩薩立像(鎌倉時代)、薬師如来立像(室町時代)、地蔵菩薩立像(南北朝時代)が安置されています。

◆鐘楼(重要文化財)
南門を入って右側、袴腰(はかまごし 下層の末広がりの部分)が代漆喰塗りの建物です。

◆梵鐘(重要文化財)
鐘楼の中にかかっています。現在は行事の時や除夜の鐘につきます。

◆南門(重要文化財)
境内の正面にある、新薬師寺の表門です。鎌倉時代後期に建立されたと考えられています。

◆東門(重要文化財)
南門より古く簡素な構造から、当初は四脚門ではなく二脚の棟門だったと推定されています。

◆石仏
南門を入って左側に多くの石仏があります。小屋の中には地蔵菩薩三軀、阿弥陀如来一軀、薬師如来一軀、二面の阿弥陀名号石があります。一番小さな地蔵菩薩は、光背の上部に六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天)の姿が刻まれ脇侍には冥界をつかさどる十王を配しています。

奈良県奈良市高畑町1352

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