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日野誕生院

名称 日野誕生院
住所 601-1417 京都府京都市伏見区日野西大道町19
拝観時間 9:00~16:00
拝観料金 参拝懇志
URL

本願寺第20代広如宗主の文政11年(1828)9月、宗祖親鸞聖人のご誕生の地を顕彰して、ここに一つの堂宇が建てられた。
これが日野誕生院のはじまりである。
当初、この堂宇を有範堂または宝物堂とも呼ばれたが、第21代明如宗主は、明治11年(1878)この堂宇を日野別堂と改名し、いっそう顕彰に努められた。
さらに大正12年(1923)に立教開宗700年記念の慶讃法要が営まれたのを契機として堂宇の一大改造が計画され、第23代勝如宗主の昭和3年(1928)5月に着工、昭和6年3月に別堂が完成し、5月に落慶の法要が営まれた。
このとき日野誕生院と改称され現在にいたっている。
宗祖のご誕生を記念する堂宇であるため、その建築様式は平安時代初期の手法によっており、従来の真宗寺院の形態とは大きく趣を異にし、調度仏具類もみな時代相応の古風によっている。
別堂向かって右側に聖人童形像・歌碑があり、境内地にはうぶ湯の井戸、えな塚がある。

◆由緒
本願寺第20代広如宗主の文政11年(1828)9月、宗祖親鸞聖人のご誕生の地を顕彰して、ここに一つの堂宇が建てられた。これが日野誕生院のはじまりである。
当初は、宗祖の父君・日野有範卿にちなんで、堂宇を有範堂または宝物堂とも呼ばれたが、その前の本如宗主は、宗祖の顕彰に熱意を示し、学僧にこの地を調査させたり、日野家の菩提寺・法界寺と交渉を持つなどさまざまに尽力されたことがあり、これが次代に実を結んだのである。文久2年(1862)には、その護持のため京都の同行の間に日野誕生講が結ばれた。
その後、第21代明如宗主は、明治11年(1878)この堂宇を日野別堂と改名し、いっそう顕彰に努められたが、さらに大正12年(1923)に立教開宗700年記念の慶讃法要が営まれたのを契機として堂宇の一大改造が計画され、第23代勝如宗主の昭和3年(1928)5月に着工、昭和6年3月に別堂が完成し、5月に落慶の法要が営まれた。このとき日野誕生院と改称され現在にいたっている。
宗祖のご誕生を記念する堂宇であるため、その建築様式は平安時代初期の手法によっており、従来の真宗寺院の形態とは大きく趣を異にしている。本堂前庭には三方に回廊をめぐらし、中央に金灯籠をすえ、七間ある本堂前面の中央三間は巻戸、両脇は蔀戸としている。内部には、本尊阿弥陀如来を黒塗の厨子に安置し、右脇壇には宗祖の御影、左脇壇に勝如上人(前門様)の御影。左余間には、父君有範卿の木像を安置している。内陣は折上組入天井で、外陣に相当する両側は襖で区切られ香房の用をなしている。また厨子その他の調度仏具類もみな時代相応の古風によっている。

京都府京都市伏見区日野西大道町19

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