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東寺(教王護国寺)

名称 東寺
住所 601-8473 京都府京都市南区九条町1
拝観時間 春(3月20日~)8:30~17:30 秋(9月20日~)8:30~16:30
拝観料金     一般 団体割引 障害者割引 大人  500円 350円  300円 大学生 500円 350円  300円 高校生 400円 280円  200円 中学生 300円 200円  100円 小人  300円 200円  100円 ※金堂・講堂拝観
URL http://www.toji.or.jp/

真言宗の総本山である。平安京遷都とともに延暦15年(796)羅城門の東に左京、東国の鎮護のため建てられたのが当寺の起りで、弘仁14年(822)空海(弘法大師)に下賜され、名を教王護国寺と改めて、真言宗の根本道場となった。
学僧名僧も多く居住し、朝廷・公家・武家の信仰があつく事あるごとに祈祷法会が行なわれ、中世には多くの寺領も寄せられた。
一方弘法大師に対する庶民の信仰もふかく、毎月21日の大師の命日(ご縁日)は「弘法さん」と呼ばれて数万の参詣者でにぎわう。
創建ののちたびたび兵火にかかったがそのつど再建された。
五重塔(国宝)は江戸初期の再建で高さ56メートルで我国最高のもの。
講堂(重要文化財)内部には仏像が安置され平安初期密教美術の宝庫をなしている。
大師堂(国宝)は大師の御影をまつり、寝殿造の住宅建築としても有名。なお塔、金堂(国宝)などの配置も古式を示している。
これらのほか、仏像、絵画、工芸、書籍等、多数の国宝を蔵し、仏教芸術の宝庫をなしている。

◆由緒
身は高野

心は東寺におさめをく

延暦十三年(794)桓武天皇は、動乱の中に奈良から長岡京を経て平安京へと都を遷され、羅城門の東西にそれぞれ大寺を置かれました。現在の京都は御所をはじめとして大部分が東方へずれてしまっていますが、東寺はもとの場所にそのまま残っていて史蹟に指定されています。

東寺は左寺とも申しますが本格的に活動を始めたのは弘法大師の造営以後であります。このお寺にはアショーカ王以来の伝統に従って、法によって国の平和が護られ、その光が世界の隅々にまでいきわたるようにということと、それぞれの思想が共に侵さず共存していく原理を見出し伝え、共々に力を合わせ実現されていくようにとの大師の願いが込められています。

東寺の伽藍は南大門を入って金堂・講堂、少し隔てて食堂が一直線に置かれ、左右に五重塔と灌頂院が配置きれています。塀で区画きれた境内はそのままマンダラであり浄土であります。我々はそこから様々のメッセージを汲み取ることができます。

大師はまた高野山を自らの修禅の場として開かれ、そこで得られた知恵を利他行として東寺で実践されました。生老病死に代表される衆生の苦悩の解決法とその生活への表現が大師の一生でありました。大師は祈りなき行動は妄動であり、行動なき祈りは妄想であるとの信念から、水なき所に池を掘り、橋なき所に橋をかけ、道なき所に道をつけ、食の貧しき者には食を得る方法を教え、病む者のために良医となられたのであります。

「弘法さん」は毎月21日、大師の命日に催される京の風物詩。境内には千軒以上の露店が並び、20万人以上の人出でにぎわいます。これは大師に寄せる民衆の信頼の深きを表わしているといえましょう。

東寺は平安京以来千二百年の間に幾度も台風、雷火、兵火等の災害を受け、堂塔の大半を消失しましたが、その都度、一般民衆の信仰のカによりもとの姿に再建され、とくに五重塔は古都の玄関の象徴として昔の姿をそのままに伝えて今日に至っております。また大師の遺品をはじめとする、貴重な文化財は国民の宝であります。一人でも多くの方がご参拝下さって平安文化との出会いを通し今日の自分を見つめ直し明日への新しい糧を得ていただけれは幸せであります。

◆金堂(国宝・桃山時代)
金堂は東寺一山の本堂で延暦十五年(796)創建されたと伝えられています。文明十八年(1486)に焼失し、今の堂は豊臣秀頼が発願し、片桐且元を奉行として再興させたもので、慶長八年(1603)に竣工しました。

天竺様の構造法を用いた豪放雄大な気風のみなぎる桃山時代の代表的建築ですが、細部には唐・和風の技術も巧みにとり入れています。

◆講堂(重文・室町時代)
東寺の創建時にはなかった講堂は、天長二年(825)弘法大師によって着工され、承和二年(835)頃には完成しました。その後大風や地震で大破し、度々修理を重ねてきましたが、文明十八年(1486)の土一揆による戦火で焼失しました。現在の講堂は延徳三年(1491)に再興された建物で、旧基壇の上に建てられ、様式も純和様で優美な姿を保っています。

◆大師堂
西院は伽藍の西北部にあり、弘法大師の住房で、大師の念持仏、国宝・不動明王像(秘仏)一躯が安置され不動堂ともよばれていました。康暦元年(1379)焼失しましたが、その翌年には再建され、さらに十年後の明徳元年(1390)には北側に、国宝・大師像を拝するための礼堂と廊を加え現在の姿となりました。堂内には不動明王と大師像が祀られ、弘法大師信仰の中心となっている御堂です。入母屋造りの礼堂、切妻の・中門、ゆるやかな勾配の総檜皮葺の屋根がその優美さを際立たせています。

◆五重塔(国宝・江戸時代)
東寺の象徴として広く親している五重の塔は、天長三年(826)弘法大師の創建着手にはじまりますが、しばしば災火をうけ、焼失すること四回におよんでいます。

現在の塔は寛永二十一年(1644)徳川家光の寄進によって竣工した総高55mの、現存する日本の古塔中最高の塔です。全体の形もよく、細部の組ものの手法は純和様を守っており、初重内部の彩色も落着いて、江戸時代初期の秀作です。

◆金堂・薬師三尊十二神将
金堂本尊の薬師如来坐像と日光、月光の両脇侍菩薩像です。光背上には七躯の化仏を配して七仏薬師をあらわし、台座の周囲には十二神将像を配しています。これら三尊像は桃山時代の大仏師康正の作で密教的な薬師信仰の形をとどめています。

◆講堂・立体曼荼羅
堂内の白亜の壇上には大日如来を中心とした五智如来をはじめ、五菩薩、五大明王、四天王、梵天、帝釈天の二十一躯の仏像が安置されています。これは弘法大師の密教の教えを表現する立体曼荼羅(密厳浄土の世界)です。六躯は後補像ですが、十五躯は平安時代前期を代表するわが国密教像の秀作です。

京都府京都市南区九条町1

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