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鎌倉幕府の第8代執権北条時宗の夫人・覚山志道尼が開創。夫から離縁状をもらわない限り、妻からは別れることができなかった時代に、駆け込めば絶縁できる女人救済の寺として、開山以来、六百年近く縁切りの寺法を引き継いできました。後醍醐天皇の皇女・用堂尼の入寺以後は、松岡御所と称され、寺格の高い尼寺として名を馳せるようになり、室町時代には鎌倉尼五山第二位に列せられていました。明治時代になると寺法に終わりを告げ、釈宗演禅師を中興開山とする臨済宗円覚寺派の禅寺となりました。
境内にはウメやハナショウブ、アジサイなど様々な花が植えられ四季を通じて楽しめます。学者や作家の墓が多いことでも有名で、鈴木大拙、西田幾多郎、岩波茂雄、和辻哲郎、安倍能成、高見順、小林秀雄らの墓があります。
◆由緒
禅・臨済宗。鎌倉市山の内、横須賀線北鎌倉駅前、徒歩三分、開山は北条時宗夫人覚山尼。弘安八年(1285)開創。五世後醍醐天皇皇女用堂尼以来松ヶ岡御所といわれ、二十世は豊臣秀頼息女天秀尼、明治に至るまで男子禁制の尼寺で、駈入寺また縁切寺としてあまたの女人を救済した。今は前円覚寺管長釈宗演禅師を中興開山とする男僧寺。
聖観音(重文)、初音蒔絵火取母(重文)、キリシタン聖餅箱(重文)、古文書、縁切文書、禅僧の墨跡等は松ヶ岡宝蔵に出陳、水月観音(県重文)は水月堂に安置。
西田幾多郎、岩波茂雄、太田水穂、和辻哲郎、三枝博音、高見順、川田順、安倍能成、鈴木大拙、小林秀雄、田村俊子等の墓、前田青邨筆塚、向陵塚、佐佐木信綱歌碑、四賀光子歌碑等がある。
神奈川県鎌倉市山ノ内1367