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真如堂(真正極楽寺)

名称 真正極楽寺
住所 606-8414 京都府京都市左京区浄土寺真如町82
拝観時間 9:00~16:00
拝観料金 大人  500円 大学生 500円 高校生 300円 中学生 200円 小人  無料 障害者無料
URL http://shin-nyo-do.jp/

鈴声山真正極楽寺と称し、天台宗に属する。
叡山の戒さん(かいさん)上人が永観2年(984)一条天皇の御母東三条院藤原詮子の御願によって神楽岡(かぐらおか)東の離宮内に堂を建て、慈覚大師の作と伝える阿弥陀如来の像を安置したのがこの寺のはじまりである。
その跡は、現寺地の東北に当たり、「元真如堂」という。
のち幾度か寺地を変え、文明17年(1485)足利義政が旧地に再興したが、その後また他に転じ、元禄6年(1693)旧祉の西南、現在地に復した。
今の堂舎は宝永2年(1705)再建で、本堂の本尊阿弥陀如来立像一躯(重要文化財)は平安時代後期の作である。
寺宝には室町時代の真如堂縁起三巻(重要文化財)ほか、寿永2年(1183)仏師運慶の願経として名高い法華経六巻(国宝)などがある。
境内には後西天皇の皇女真珠院宮の墓をはじめ、藤原氏一門や春日局の生父 斎藤内蔵助利三など著名な人の墓が多い。
また、紅葉の名所として知られている。

◆由緒
正しくは真正極楽寺(しんしょうごくらくじ)という天台宗の寺である。平安中期の永観二年(984)、比叡山延暦寺の僧・戒算上人(かいさんしょうにん)が延暦寺の常行堂(じょうぎょうどう)にあった阿弥陀如来(あみだにょらい)像を東三条院藤原詮子(ひがしさんじょういんふじわらのせんし)(一条天皇の母、藤原道長の姉)の離宮に移し、安置したのが始まりとされる。当初、この場所の東北に位置する元(もと)真如堂(換骨堂)の地にあったが、応仁の乱で荒廃した後、各地を転々とし、元禄(げんろく)六年(1693)に現在地への再建が開始された。

本堂(重要文化財)は江戸時代の享保(きょうほう)二年(1717)の上棟で、京都市内の天台宗の寺院の本堂として最大規模を誇り、内部には、本尊の阿弥陀如来立像(りゅうぞう)(重要文化財)が祀(まつ)られている。本尊は「うなずきの弥陀(みだ)」とも呼ばれ、毎年十一月十五日にのみ開帳される。

寺宝として、仏師運慶(うんけい)の発願によって書写された法華経六卷(国宝)をはじめ、応仁の乱などを描いた室町時代の真如堂縁起(重要文化財)、毎年三月に公開される大涅槃図(だいねはんず)など、多数を蔵する。

秋には、東山を借景にした「涅槃(ねはん)の庭」や三重塔、梵鐘(ぼんしょう)に色付いたもみじが映え、紅葉の名所としても有名である。

◆閻魔大王蘇生金印傳 
真如堂本尊脇立ノ不動明王ハ 安倍晴明ノ念持佛ナリ。

晴明蘇生ノ伝ニ曰ク 「晴明逝去ノ時 不動明王 閻魔王宮ニ至リ 閻魔王ニ告ゲテ曰ク 『コノ者ハ定業ニテ來ル者ニ非ズ。未ダ娑婆ノ報命盡(つ)キズトイエドモ難病ニ侵サレ養生叶(かな)ワズシテ遂ニ命終(みょうじゅう)ス。スナワチ横死ナリ。今一度娑婆ヘ返シタマヘ』ト命ヲ乞イ給フニ 閻王コレヲ聞キ召シ 晴明ニ告ゲテ曰ク 『是ハ我ガ秘印ニシテ 現世ニハ横死ノ難ヲ救イ 未來ニハ此ノ印鑑ヲ持チ來ル亡者 結定往生(けつじょうおうじょう)ノ秘印ナリ。是ハ汝一人ノ為ニ非ズ。娑婆へ持チ歸リ コノ印鑑ヲ施シ 普(あまね)ク人ヲ導クベシ』ト告ゲ終ワッテ秘印ヲ與(あた)ヘ給フ。晴明コレヲ受ケテ忽チ蘇生シ給フニ 不思議ナルカナ 懷中ニ此ノ金印アリ。誠ニ佛ノ大悲ノ方便思慮 計リ難シ」ト云々。天文博士大膳太夫蘇生後 八十五歳ノ壽(よわい)ヲ保ツ。生涯此ノ印鑑ヲ諸人ニ施シ給フト。逝去ノ後 不動明王並ビニ蘇生ノ印紋 共ニ當山ニ納メ給フ。古今無雙(むそう)ノ珍器ナリ。

京都府京都市左京区浄土寺真如町82

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