名称 | 神明神社 |
住所 | 600-8092 京都府京都市下京区神明町246 |
拝観時間 | |
拝観料金 | |
URL |
当地は平安時代末期、近衛(このえ)天皇(在位一一四一~一一五五)がしばしば皇居としたと伝わる藤原忠通(ただみち)(近衛天皇妃の養父)の屋敷跡で、「四条(しじょう)内裏(だいり)」または「四条(しじょう)東洞(ひがしのとう)院内裡(いんだいり)」と言われた。
この邸内にあった鎮守の社が神明神社で、天(あま)照(てらす)大神(おおかみ)を祭神とし、創建年代は明らかでないが、平安時代から今日まで人々の崇拝の社となっている。
社伝によると、近衛天皇の時代、頭は猿、尾は蛇、手足は虎の「鵺(ぬえ)」という怪鳥が毎夜,空に現れ都を騒がせた。
弓の名手であったという源(みなもとの)頼政(よりまさ)は退治の命を受け、神明神社に祈願をこめた後、見事に鵺を退治した。この時使われた弓矢の「やじり」二本が当社の宝物として伝わっており、今でも祭礼の時に飾られる。
当社が厄除け・火除けの神と言われるゆえんである。
その後、天台宗の護国山(ごこくざん)立願寺(りつがんじ)円光院(えんこういん)という寺によって管理されていたが、明治初期の神仏分離令によって神社だけが残され、それ以来、神明町が管理を行っている。榎の大木があったので「榎(えのき)神明(しんめい)」とも言われた。
また、当社には豊園(ほうえん)小学校内(現在の洛(らく)央(おう)小学校)に祀られていた文子(あやこ)天満宮(菅原道真を祀る)の祭神が戦後合祀されている。
祭礼は九月の第二土曜日とそれに続く日曜日である。
京都府京都市下京区神明町246