You are here
Home > 京都 > 蟹満寺

蟹満寺

名称 蟹満寺
住所 619-0201 京都府木津川市山城町綺田浜36
拝観時間
拝観料金
URL

普門山と号し、かつては紙幡寺、加波多寺とも表記され、白鳳時代の末期に創建されました。
「古今著聞集」や「今昔物語集」に出てくる“蟹の恩返し”の縁起と国宝釈迦如来坐像で有名な寺です。
釈迦如来坐像は蟹満寺の本尊で、高さ2.4m、重さ約2t余りの金銅像です。

◆縁起
太古、このあたりに善良で慈悲深い夫婦と一人の娘が住んでいました。
娘は幼い頃から特に慈み深く、常に観音経の普門品を読諭して観音さまを信仰していました。
ある日のこと、村人が蟹をたくさん捕えて食べようとしているのをみて蟹を買い求め草むらへ逃してやります。また娘の父が田を耕していると蛇が蛙を呑もうとしています。何とか蛙を助けてやりたい父は蛇に向って「もしおまえがその蛙を放してやってくれたら娘の婿にしよう」と言ったのです。すると不思議にも蛇は蛙を放し、何処へともなく姿を消したのでした。
突然のこととはいえ大変なことを言った父は、仕事も手につかず家に帰ると、ことの次第を娘に語り不本意を悔いたのでした。
案にたがわずその夜、衣冠を着けた紳士が門前に現れ昼間の約束を迫ってきました。困りはてた父は嫁入りの仕度を理由に、三日後に来るようにと男を帰したもののどうすることも出来ません。遂に約束の日が来ました。
雨戸を堅く閉して約束を守ろうとしない父娘に腹を立てた男は、本性を現し蛇の姿となって荒れ狂います。
娘はひたすら観音経の普門品を誦え、娘の父母は恐ろしさのあまり身を締めている
その時、いかにも麗しい温顔に輝く観音さまが現れ「決して恐れることなかれ汝らの娘は慈悲の心深く常に善良なおこないをされ、又我を信じて疑わず、我を念ずる観音力はことごとくこの危難を除くべし」と告げ姿を消しました。
間もなくどうしたことか雨戸を打つ暴音は消え、夜が明けてみると戸外には、ハサミで寸々に切られた大蛇と無数の蟹の死骸が残されていました。
親子は観音さまの御守護を感謝し、娘の身代りとなった、たくさんの蟹と蛇の霊を弔うため御堂を建て観音さまを祀りました。
たくさんの蟹が満ち満ち恐ろしい災難が救われた因縁で建てられたので蟹満寺と名づけられ観音経の普門品を読諦していたので普門山と号せられたのです。
毎年四月十八日、この縁起にちなんで蟹供養放生会が修行されています。
(蟹の身代り観音と称し厄除、災難除けの御本尊として、古より人々の篤い信仰をあつめ本堂に祭祀されている。)

◆足腰痛み封じ祈祷
当寺は遠く大仏前代に渡卓令した泰氏によって創建され、本尊釈迦如求は約千三百年前、白鳳時代作、国宝に指定されており、往古より脚気、神経痛、足腰の病、その他体に潜む諸病を封じる秘法が師資相承されております。
七日間御宝前にて、諸病をわらじに封じる祈念を修し、その後、わらじを痛み、病と共に御焚き上げいたします。特に、毎年5月8日のお釈迦様の誕生会(旧歴4月8日花まつり)には、この御祈祷の大祭日とし、この秘法の利益を受けられた多くの願主が御永山なさいます。

京都府木津川市山城町綺田浜36

Similar Posts