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観音寺(普賢寺大御堂)

名称 観音寺
住所 610-0322 京都府京田辺市普賢寺下大門13
拝観時間
拝観料金
URL http://kyotana.be/object/detail/113/

此の寺は今より千三百年前、天武天皇の勅願により義淵僧正が開基され、次いで聖武天皇の御願により良弁僧正が伽藍を増築した寺であります。良弁僧正の高弟で、有名な奈良のお水取りを初められた実忠和尚を第一世とします。法相三論華厳等を兼学し、世の尊信を集め、息長山普賢教法寺と称して、その盛んな姿を見た人は筒城の大寺と申しました。

御本尊十一面観世音菩薩はこの普賢教法寺の御本尊で、古記録によりますと天子16年(744)安置されたものであります。天下泰平と国民豊楽の祈願をこめられた御霊像で、その後およそ1200年の問、世の変遷につつがなくいまし、今にその御霊徳をおわかち下さって居るのであります。この十一面観音様は四種功徳、十種勝利と申しまして、我々の苦難をお救い下さる観音様のうちでも、特にすぐれた御利益がお経にとかれて居ます。要約致しますと、常に我々と共にあって、無病息災に、不時の災難をのがれさせ、種々の祈願を成就せしめるとの御誓願であります。
本日御参詣の皆様、我が固有数の天平仏として拝がまれます前に、静かに古人の願に想を致し御本尊の麗容からする無限の光に浴され、皆様のお心深く御誓願をおうけ下さい。

今や往時を偲ぶ何物も残って居ません。数々交通略図の地名に寺ゆかりの名を残し、古塔の跡には僅かに数個の礎石を残すのみであります。しかし古図によりますと諸堂十三、僧坊二十余を数えます。所領も近隣はもとより、河内交野に迄及んだ様であります。これら結構な建物も永亨9年(1437)冬の火事に殆ど失われた様です。それ迄は度々の火災にも延暦13年(794)の時は藤原良房公を本願とし、治承2年(1178)の時は普賢寺関白基通公により、弘安2年(1279)の時は高山寺関白家基公により再建されました。このように藤原氏の外護を受けましたのは、当寺が藤原氏の氏寺興福寺の別院であったからでもありましょう。この藤原氏の外護を離れてからは当地方の古利として小さい乍ら尊厳を保ち続けて来たのであります。
古く仁徳天皇の頃に開けた土地、大らかな天平の名残りをとどむる古利、近くには一休寺、蟹満寺等もあります。

京都府京田辺市普賢寺下大門13

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