名称 | 護王神社 |
住所 | 602-8011 京都府京都市上京区烏丸通下長者町下ル桜鶴円町385 |
拝観時間 | 6:00~21:00 |
拝観料金 | 無料 |
URL | http://www.gooujinja.or.jp/ |
桓武天皇に遷都を進言し、平安京の都造りを推し進めた和気清麻呂(わけのきよまろ)とその姉広虫(ひろむし)を祭神とする神社。
もとは、神護寺境内にあったが、明治19年(1886)この地に移された。
広虫が慈悲深く、京中の孤児を養育したことにより子育て明神と呼ばれ、育児の神として信仰される。
拝殿の前に狛犬(こまいぬ)のかわりに猪像があるが、これは清麻呂を猪が守護したという故事にちなむ。11月1日に亥子(いのこ)祭がある。
当社は、現在に至るまで2600年以上ものあいだ保たれ続けてきた日本の皇室の血統の護持に 著しい功績を残した、歴史上に実在するところの2人の人物、すなわち和気清麻呂公主その姉君である和気広虫姫とを、神々としてお祀りするものであります。
和気清麻呂公は、護玉大明神(王の情け深い守護神)として崇められており、また和気広虫姫 は、子育明神(母と子どもの守護神)として尊崇されております。これらの神々は、およそ 120 年前にご社殿が建てられた、ここ護王神社において奉斎されておりますロ
ところで、猪は護王大明神の使者として信じられており、拝殿の両脇には、守護者として猪の石像が立っています。
一対の石造りの犬(狛犬)が、日本の神社の守護者として立っているのが一般的ですが、ここでは非常に珍しい猪の守護者(漁船をご覧になるととができます。それゆえ、当社の神は、十二支の猪年(亥年)にお生まれになった方々から敬意を払われております。
参拝される方はどなたでも、護王神社の神々によって守られます。悪運や災難を遠ざけるばかりでなく、長距離の旅の安全も守られることでしょう。また、和気清麻呂公の脚が回復されたことにちなみ、足腰の難儀が快復すると信じられております。また、和気広虫姫は、戦摘により身寄りをなくしだ子供たちを引き取り育てられたことから、博愛慈悲の神様として崇敬されております。
◆和気清原手呂公といのしし
769 年、僧である弓削道鏡は、称徳女帝への影響力によって、皇位の継承をもくろんでいた。
宮廷官僚で、あった和気清麻呂公は、皇位継承についての助言を請うために宇佐八幡へ向かうよう、称徳天皇の勅命を受けた。
清麻呂公は、以下のような託宣を受けた。すなわち、「わが国は有史以来「君臣の分」が定まっている。皇位は、天皇の子孫によってのみ受け継がれることができるのであり、臣下を君主とするようなことは決してありえない」。さらには、「したがって、皇位をのっとろうとたくらむ邪悪な者は、速やかに排除されなければならない」という信託である。清麻呂公はこの信託を持ち帰り、偽りなく称徳女帝〈復奏(報告)された。しかしながら、この行いによって、清麻呂公は道鏡の恨みを買うこととなった。
道鏡の復讐を受けて、清麻呂公は大隅(鹿児島県)へ流された。九州への長く惨めな旅の途中で、清麻呂公は宇佐の大神に、真実の信託を下されたことへの大いなる感謝を示したいと願われていたが、やがて豊前の国(大分県)にさしかかられた。すると、突然、清麻呂公の乗った奥が、300頭もの猪によって取り囲まれたのである。猪たちは、清麻呂公を、そとから40キロばかりはある宇佐八幡まで無事にお送りした。同時に、深い傷を負われていた清麻呂公の足の傷も、奇跡的に癒えたのである。これらの伝説は、日本後記の巻八の 792 年から833 年についての記事に収められている。