名称 | 金剛峯寺 壇上伽藍 |
住所 | 648-0294 和歌山県伊都郡高野町高野山132 |
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壇場とは曼荼羅の道場の意。伽藍地が一段高い土地にあるため、一般には「壇上伽藍」と表記される場合が多い。高野山内の西寄り、金堂、根本大塔、西塔、御影堂などの立ち並ぶ一画で、高野山の聖地の1つである。ここは、空海が在世中に堂宇を営んだところで、現在の諸堂塔は大部分が江戸時代後期から昭和時代の再建であるが、真言密教の道場としての高野山の中核となる部分である。
金堂 – 昭和元年(1926年)に焼失後、昭和9年(1934年)に再建された鉄筋コンクリート造、屋根は入母屋造の建築で8代目になる。現本尊は薬師如来(阿閦如来)で、金堂再建時に新造された高村光雲の作である。1926年の焼失時、堂内には旧本尊を始め7体の仏像が安置されていたが、堂と共に焼失した。旧本尊像は公開されたことのない秘仏であった。旧本尊の像名については、古来阿閦如来とする説と、薬師如来とする説とがあり、両者は同体であるという説(薬師如来だが像容は阿閦如来であるとする)もあった。高村光雲作の本尊像は高野山開創1200年を記念し、2015年4月2日から5月21日までの間、初めて開扉された[8]。本尊の両脇に安置されていた6体の仏像(金剛薩埵坐像、金剛王菩薩坐像、不動明王坐像、降三世明王立像、普賢延命菩薩坐像、虚空蔵菩薩坐像)については、焼失以前に撮影された写真が残されており、作風から見て、空海の時代からあまり隔たらない9世紀頃に作られた密教像として、極めて貴重なものであった。内陣・外陣壁面の仏画は木村武山の筆。
根本大塔 – 金堂の右後方にある多宝塔(1階平面が方形、2階平面が円形の二重塔)。1937年(昭和12年)、空海入定1,100年を記念して再建したもので、鉄筋コンクリート造である。内部正面の梁には昭和天皇宸筆の勅額「弘法」が掲げられている。中央に胎蔵大日如来像、その四方に金剛界四仏を安置する。塔内の柱などに描かれた仏画は堂本印象の筆である。本来別々の密教経典に説かれている「胎蔵曼荼羅」の仏像と「金剛界曼荼羅」の仏像を一緒に安置するが、これは、両者は根本的には1つだという、空海の思想を表したものといい、「根本大塔」という建物名もこれに由来するという(「金剛界」等の密教用語については別項「両界曼荼羅」を参照)。内部の柱には十六大菩薩、壁面には真言八祖像が堂本印象によって描かれている。
西塔(国の重要文化財) – 上述の根本大塔とは対照的に、金剛界大日如来像と胎蔵四仏を安置する。仁和3年(887年)初代塔建立、現在の塔は5代目で天保5年(1834年)の再建である。
不動堂(国宝) – 建久8年(1197年)ないしは建久9年(1198年)の建立。当初は高野山内の五の室院谷(一心院谷)にあり、1908年(明治41年)に現在地に移築された。桧皮葺(ひわだぶき)、入母屋造の住宅風仏堂である。国宝の八大童子像はここに安置されていたが、現在は高野山霊宝館に移されている。
明神社(国の重要文化財) – 1522年再建。「御社(みやしろ)」ともいう(重要文化財指定名称は「山王院本殿」)。弘仁10年(819年)山麓の天野社に祀られる地主神を高野山の鎮守として勧請したものという。一宮(丹生明神)、二宮(高野明神〈狩場明神とも〉)、三宮(総社、十二王子・百二十伴神)の三社からなる。
山王院 – 文禄3年(1594年)再建
御影堂 – 弘化4年(1847年)再建。本尊は掛け軸の大師像で、毎年旧暦3月20日の夕方整理券を配り法要の終わった夜7時過ぎから内拝できる。本尊も開帳されるが燈明の灯りだけで暗くてほとんど見えない。
三鈷の松 -金堂と御影堂の間にある三葉の松。松の根が参拝者に踏まれないよう二重の柵で囲まれ、赤松と一緒に植栽されている。松は単体では生育しにくい性質を持つためにあえて、植栽している。空海が、恵果から密教を受法後、大同元年(806年)、中国・寧波の浜から、「密教を弘通するため」の地を求めんと願いつつ、三鈷杵(飛行三鈷杵)を投げた。後に嵯峨天皇より、勅許を得て高野山を下賜され、伽藍を造営の途中に、空海が松に掛かった三鈷杵を見つけ、高野山を「修禅の道場」とするのに相応の地であると確信したという伝説がある。空海の霊跡とされる。この松葉は、三鈷杵と同じく三股に別れている。現在の「三鈷の松」は七代目で、平成期に植え替えられた。枯れたときのために同じ株から分けた松を別に育成している。松は常緑樹が多いが、高野山の「三鈷の松」は秋から冬にかけて落葉するので、「再生」の象徴される。落葉した三葉の松葉は黄金色をしており、身につけていると「金運」を招く縁起物として、また、「飛行三鈷杵」の霊験にあやかるため、「お守り」とするために探し求める参拝者もいる。
孔雀堂 – 昭和55年(1980年)の再建。本尊の快慶作の孔雀明王像は霊宝館に移され、当堂には模造を安置。
准胝堂 – 明治16年(1883年)再建。本尊は准胝観音(准胝仏母)。
愛染堂 – 嘉永元年(1848年)再建。本尊は愛染明王。
大会堂 – 安元元年(1175年)創建。現在の堂は嘉永元年(1848年)再建。本尊は阿弥陀如来。
三昧堂 – 文化13年(1816年)再建
東塔 – 1984年再建
六角経蔵 – 別名荒川経蔵。1933年再建
鐘楼 – 大銅鐘「高野四郎」を吊る鐘楼。「高野四郎」は元和4年(1618年)に福島正則が母の菩提を弔うために鋳造したもの。
中門 – 平成27年(2015年)4月2日落慶。172年ぶりの再建である。焼失以前の中門には持国天・多聞天の二天像が安置されていたが、2015年に落慶した中門には上記の二天に増長天・広目天像を加えた四天王像が安置されている。持国天・多聞天像(江戸時代末期の作)は、旧・中門の焼失時に難をのがれ、寺内に保管されていたものを、2015年落慶の新・中門に再び安置した。増長天・広目天像は仏師松本明慶により新造されたものである。持国天・多聞天像の修理も松本明慶が担当している。