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金剛峯寺 奥の院

名称 金剛峯寺 奥の院
住所 648-0211 和歌山県伊都郡高野町高野山550
拝観時間
拝観料金
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表記は「奥院」とされる場合もある。寺院群の東端にある一の橋から中の橋を経て御廟橋まで、約2キロにわたる参道沿いに無数の石塔が立ち並ぶ。御廟橋を渡ると空海入定の地とされる奥の院である。一番奥には空海が今も瞑想しているとされる御廟があり、その手前には信者が供えた無数の灯明がゆらめく燈篭堂がある。空海は62歳の時、座禅を組み、手には大日如来の印を組んだまま永遠の悟りの世界に入り、今も高野山奥の院で生きていると信じている人もいる。「死去」「入寂」「寂滅」などといわず「入定」というのはそのためである。

◆御廟 – 空海が入定留身の地。檜皮葺三間四面宝形造(ほうぎょうづくり)の堂宇。御廟は瑞垣(みずがき)に囲われている。御廟の裏側、北西の壁面の下部には直径約20㎝の穴が設けられている。衆生救済のために、各地に顕現される空海の御霊の出入り口とされる。近畿地方・瀬戸内沿岸の社殿にも同様のものがあり、ご神体や御霊の出入り口となっている。御廟の東側には、二社の社祠がある。いずれも檜皮葺一間社春日造で、東北側に丹生明神(高野山の地主神)、その南側に高野明神(高野山開創に最初に勧請)、西側には白髭稲荷大明神の小祠が奉祀されている。弘仁10年(823年)に嵯峨天皇より、東寺を下賜されたときに「密教と国土の安泰」を稲荷大明神に契約されたという伝承「稲荷契約事」(いなりけいやくのこと)があり、真言宗寺院では、守護神・鎮守神として「稲荷大明神」を祀ることが多い。御廟の西側の大杉の穴に住む白狐の霊験談が「紀伊続風土記」にあることから、「白狐の信仰」と「稲荷契約事」の伝承が結びつき、明治時代に神格化され、白髭稲荷大明神として奉祀されたと推察される。

奥の院参道に沿って並ぶ石塔の数は10万基とも20万基とも言われ、皇族から名もない人々まで、あらゆる階層の人々が競ってここに墓碑を建立した。日本古来の信仰では、山中は「他界」であり、死後の魂の行くところであった。高野山周辺には、人が死ぬとその人の頭髪を奥の院に納める「骨上せ」(こつのぼせ)という風習がある。こうした古来の山岳信仰に、弘法大師の永眠する土地に墓碑を建てたいという人々の願いが加わって、この石塔群が形成されたものと思われる。奥の院には上杉謙信・景勝霊屋(たまや)、松平秀康及び同母霊屋、佐竹義重霊屋など、建造物として重要文化財に指定されているものを始め、平敦盛、熊谷蓮生房、織田信長、明智光秀、曾我兄弟、赤穂四十七士、法然、親鸞、初代 市川團十郎、俳優の鶴田浩二など古今の様々な人物の墓碑や、関東大震災・阪神淡路大震災・東日本大震災などの大規模な自然災害の犠牲者、太平洋戦争の戦没者らを慰霊する為の供養碑・供養塔がある。また芭蕉や高浜虚子の句碑もある。

和歌山県伊都郡高野町高野山550

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